自然に負ける自然さ
雷が鳴るとワクワクする。
台風が来ると子供の頃には、どれだけ強い雨風が吹くのか
楽しみに家の窓に兄と一緒になってへばりついていた記憶があります。
大人になった今でもそういう自然の怖さに対する好奇心、
は、奥底に残っているけれど、
30年間分の警戒心が体験とセットになって、
子供心の単純さの「キレイ」「すごい」だけでは見れなくなってきている。
雪で窓が開けられなくなっただけで、
「もっと降ないかなー?」から
「早く止まないかなー。長靴用意しなきゃ。
あっ、去年捨てちゃったんだった。」と、面倒になるし、
楽しがってた雷が目の前で落ちれば、
当たり前に恐ろして窓から離れて隠れようとする。
地震はもう、ちょっと揺れただけで記憶と繋がり
いつ関東大震災が起きるかも分からないって考えただけで、
いつ関東大震災が起きるかも分からないって考えただけで、
恐ろしくて仕方が無いものとなっている。
その、自分の何かを超えてきちゃう感じ。
屋久島に行った時には、しっかりと人が自然に負けている空気が
なんてことないガードレールからも
スーパーからも感じられて、なんだか安心したのを覚えています。
都心にいると、手をのばした枝は綺麗に
真四角に刈られちゃって、
生の放題に生きてる自然と出くわすことって少ない。
けれどその分、東京にはたっくさんの表現に出会える。
いろんなアーティストの作品をみてると、
それぞれに、伸び伸びと生きている自然が
身体の中に詰まってるんだなーと、感じます。
それぞれに普通なんだなーと。
自分の何かを超えてきちゃう感じ。
それって怖いけれど、感動になったりするんだな。