「総合講座 ー沖縄を考えるー」 沖縄の集落 ー沖縄の伝統的空間を知るー (沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員 山本正昭 ) 2026.6.12 @ 法政大学

 今回の講義を聞いて、なぜ国立市で新築のマンションが取り壊されたのか。その根源的な理由が感覚的にピンときました。

日頃から生活圏として国立駅から放射状に分かれた2つの道の1つである「富士見通り」をよく歩いていますが、その名の通り、天気が良い日には「富士山」が見事に見えるんです。本当に感動するくらいの絶景として見えた夕焼けの日のことをよく覚えています。

その景観を文化として守るという市民の思いは確かに、住んでいる住民としてのカテゴリー内でも十分に理解できていたものの、今日の講義の中で出てきた「腰当(さくて)」と「おそい」という、聖域的でありながらも数式的な囲いの視点から、富士山を頂点として見た場合、国立市から富士山までの間にある広大なエリアを「おそい」とし、それは眺望にも適応されたとして、その「おそい」にかかる部分には、きっと建物さえかかってはいけないのだ。

そして、国立市の「腰当」に適応できうる場所がもう1つある。それは駅舎で、2006年にJR高架化の大規模工事の際に一度解体されたものの、元々の駅舎に使われていた資材を市民の声から一時的に保管し、駅とは少し離れた場所 ( だけれども大学通りから正面に見れば、まるで駅舎が復活し、当時の姿のままのように見える ) に、再築された形が今の国立駅である。( 2020年完成 )

国立市民にとっては富士山と同等に、駅舎は国立市のシンボルであるがため、ここでもその腰当の思想が働くと思える。その場合の「おそい」は駅前の広場であり・・・となると、その広場の思想というのも・・・

“広場の真ん中にはいつも見えない穴が開いているのである。その空虚な穴に有意味なモニュメントが建ったりすると、それはたやすく社会的権力の象徴になってしまう。中心に彫像や教会を建ててはならない、とする伝統的な都市設計の考え方は、社会性にたいするそのようなギリシャ的な思考に裏づけられていた” (「芸術人類学」中沢新一 )

という、最近読んだ本の言葉にも必然的につながってくる気がする。つまりは駅前に広場があるからこそ、その駅舎自体がシンボルにならざるをえない宿命をもっている。そこから、街が形作られていく・・・。それこそ、駅舎を隠すよな建築は、考える間もなくNGなわけである。

そこから考えると、深い森の中や、山の頂きに何かを設定することは、それはもう、そうなる要素がすで揃っているもんではないかと。神がどうのというよりも、逆説的に、しかし・・・

そんなことを考えていると、サイゼリアでカルボナーラを食べながら書いている私は、伊丹十三「たんぽぽ」ばりに、ズルズルと音を立てて食べたい気分になります。もっと、そもそも人間が象徴を作り、そうする理由はどこからくるものなのか・・・・。稲作で定住してからの、不安定な天気を祈る以外にも何か、あるんではないかと。

国立駅前には、戦前までドーム型の巨大な鳥カゴの水禽舎があったそうなのです。当時を知るわけでないですが、それは中心意識をズラし、シンボル化を上手いこと避けた良き空間だったのではないかと・・・と。私が "中心" を避ける理由も知りたいところです ( それは避けたとしても、電車の席が角から埋まり、気づけばシンメトリーを形成していまうような、生理的な快適さであって、シンボルが生まれるのは避けられないものかとも思うわけですが・・・水の結晶のような  )

1747年に土地を割り当てた「地割制」を、制定した蔡温という方も知る機会となってよかったです。


 

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