「フィクション・トラベラー」中﨑 透 水戸芸術館


中﨑さんは、十和田のネオン街でチラッと拝見したのみで、あっ、看板のおもしろい人だーぐらいに思っていたのですが、最初に入った時の作家への印象が、どんどんコロコロと変わっていって、出る時の印象がこれほどまでに違う展覧会って、初めてかもーという感動でした。



水戸芸からも程近い大工町の出身で、子供の頃から水戸芸に慣れ親しんでいて、学校の美術の先生も水戸芸に関わっていたりして、今までの水戸芸がやってきたことも知ってるし、展示室のことも分かりきっている。だからこそ空間、活かしまくりな展示プランで、実現しているのこの空間。


なにがすごいかって、作品よりも作家性が見えてくるのがすごい。作品を見てるんだけど、中﨑さんの物語を読んでいるような、言葉の入り方。それがセクションごとにガラッと印象が変わるのに、作品は一貫してる。






印象的だったのは、武蔵野美術大学の頭文字をとって、自身の卒展をパフォーマンス的に看板屋としてやったMAUGRA2003。あれは卒展の作品そのものであり、卒展広報のパフォーマンスであるというところがすごい。小川町駅とか鷹の台とかの駅前で、ビラ配りを女性4名くらいでやっているのは、一般の人からすると「???…選挙?」って思わせるのに、美大の卒展の宣伝って聞くと、あーよく分からないのは、なるほどね、みたいな安心感が生まれる正式っぽい活動な感じがあって、学校のみんなのためなんだというのが温かかった。在学中なんて、自分だけの作品をただ作ろうとする学生が多いだろうと思う中で、そういう社会とのつながりに関心を楽しく持っているのを、作品という形にできるのがすごい表現、視点ですねー。







と、ガラッと変わって下へとものを投げ捨て終わった後にジャポン玉を吹いてる動画が流れる、動画の撮影現場ともなってる建設現場のような空間。水戸芸が生まれる年の切実な言葉と相まって、何がどうのってよく分からないけど、もう、これは奇跡を見てるような気になりました。













そして、最後の学校での記憶と作品が合わさっているような部屋。ここは、もうネオンが一人一人の個性、教室のようにも思えました。この黄色とオレンジの作品にすごい惹かれました。







  


中﨑さんにとって、いかに美術が必要なのか、また同じように必要と感じている子供達へと、体験のバトンを渡すような、つなぐようなそんなメッセージ性を感じました。やっぱりここにも、自分個人だけの制作では決してない、それが”看板屋”という、パン粉の卵みたいな繋ぎなんだと。看板ってのはそれが、中﨑さんにとっては1番わかりやすい人との ”つなぎ” なんではないでしょうか。







カタカタを呪文のように繰り返すだけの映像ゾーンもめっちゃ面白かったし、すごい忘れていたの夢中になる快感みたいなのを思い出させてくれました。もー僕にとっては頭良さそうに座禅するより遥かにマインドフルネス(!)。それはまるで、何かを落とした時に○◯を思い出したという作品と同じようなことで。。。


















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