「大竹伸朗展」国立近代美術館

 


 

宇和島を、まるで、ディズニーランドでミッキーを見つけるような感じで見つめると、それはすっかり大竹ファンでありそうである。


大竹伸朗さんは、いつもなんであんなタイプグラフィーなんだろ?と思っていたのと、なんでいつもよく分からない何かで、名前をすごい知ってるけど、いつもよくわからないんだろうっていうのが、YouTube とかでインタビューとか見ていて、なーるほどとなっての宇和島。





そして古ーい食堂とか喫茶店の壁紙が、直そうとしたのに偶然剥がれかってしまったような作品。でも、廃墟ってことじゃないし、怖くもない。そんな場所は、まだギリギリ営んでる感じがあって、それが誰のためでもなく、生きてるだけっていうのがヒタヒタとあって、人がいなかったら生えてくる草ってよりも、人がいたらできてしまうシミみたいな、だから大竹さんは手を動かすんだなと、感じました。





人が産まれる赤ちゃんの時もビチャビチャだし、もし、自然と死んでいくのなら朽ちてくだろうし。「汚い」とか人が言いそうなものも、なにか草とかボーボーと生えてたりする空き地よりも、よっぽど人の自然観に近い気がしたりも?とか、人が営んでなかったら絶対に見れることもない作品なんだな?…とか。言葉にしようとするとそう思ったりします。私たちの身体となっている中には、どれだけの液体が入ってるものかと。






   

そしてなぜに、多くの人がディズニーランドのミッキーにあれだけ惹かれるんでしょうね…?

  

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