「その日暮らし」の人類学 / 小川 さやか





おしゃれで安いんだけど、2回くらい履くと壊れてしまうサンダル。普通なら、えっ!と思うけれども・・・


でも、それって安くて、今流行っているブランドのヤツに似てて、その場がそれで済むのならば、それでいいし、また新しいものを買おうとした時も、最新モデルみたいなものが本物よりも半額で買えて、まぁ1回だけのためのデートで使えるのならば、それはいいことじゃん・・・!というような、そもそも使い捨ることを前提として買うことが当たり前というの世界があるのかと斬新だった。さぁ捨てなビリティ。


確かにそんなすぐに壊れてもいいと思っているものばかりが日常に溢れていたら、日常使っているだけでもずーーっと何年も使えるMADE in JAPAN は凄い!って、そりゃなるなぁと腑に落ちた。


この頃、100円ショップで小さなハサミを買った。全く切れなかったので「ハサミじゃないじゃん!」と、すぐに捨てた。切れて使えるものでも、半年と保たずにプラスチック部分がいつもポキっと自然に折れてしまう。逆に800円くらいしたアルミのハサミを買った時には、管理を良くしなくてすぐにサビしまって、これもこれで、管理できなかった自分が悪いとも思うのだが、きっと3500円くらいのハサミを買えば、管理をしなくても一生使えるくらいに丈夫なものなんだろうとも思う。ちょっと高いけど・・・と、えい!と買ったティファールのフライパンと電気ケトルは、もう15年近く使っているが全然壊れる気配がない。むしろやっぱり、使い易いと感激する。

  

「未来のために現在を犠牲にする」これは、本当に危ない思考だと常々思っていて、当たり前に日常化している、注文すればすぐに届くというオンラインショップみたいなものは ”今”にフォーカスしているようで、けっこうそういう”明日のために”という未来のための思考だと思う。そして、レビューを見ていると「すぐに壊れた」というコメントがやけに多い感じがしていて、前だったら、そんなレビュー珍しい!という感じだったが、今日たのんで明日届くという「その場しのぎ」の利便性と安さを考えると、まぁ、そんなもんだろう。と、値段は違えど100円ショップと同じ感覚に感じ始めている自分がいる。だから届いて、もし使えなくても、ギャンブルみたいなもんでハズレを引いてしまったと諦める。商品を買う感覚として、それがだんだんと普通に感じるようになってしまっているのかな・・・とも思う時もある。


そんなに明日を急がずとも (というか、なぜノーマルにそんなに急いでるんだろう? )、実際に明日になってから買いに行けばいいのだ。色々とめんどうなことが多いかもしれないけれども、現在を犠牲にしないためには、そういう「自分が動くめんどくささ」というようなことが、効率とは違う反対語で並列していて、けっこう共通しているキーなんじゃないかなと思って読んでいました。稼げるとか稼げないとかじゃなくて、今日どうしよう!?と、自分が、もしくは誰かと一緒に、完全に動いてるぜ今って状態を感じられる = 結果的に、あのマインドフルネスのような感じになれるのが、その日暮らしの良さな気がします


例えば、「あー全然もう道がわからないから適当に歩いちゃえ!」「ビデオ録画をし忘れた!ちきしょー!」みたいなあの感情が揺さぶられる自分にとってはショッキングな感情の出来事って、やっぱり便利さの押しつぶされてしまっている気もします。「あっでも、きっと誰かがyoutubeにあげてくれてるだろうし」みたいな。そういうどうしようもない感情の体験がテクノロジーのよって減ってしまってからの、「じゃぁ、コミュニケーションについて良くわからないから、サブスクでお金を払って頑張ろう」みたいなのはけっこう本末転倒、人間はどこへ向かうのだろうか?と、思うばかりでありました。「こんなところにこんな景色があったなんて・・・」と道に迷った先の出会いを、けっこうみんな求めていそうなのに。分かりきった目の前にあるものへとポチっとしがちですねー、私も含めて。






     























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