「感じる力で人は、育つ。」牧井 正人

 



菱田春草の「落葉」屏風の鑑賞教育記録をまとめたマッキー先生の本。


本の中でも出てくる学び研の上野行一先生と少しお会いしまして、お話をお聞きしてから改めて読んでみたのですが、なるほど、学校での”美術教育”というのは、美術作品を理解するための鑑賞である・・・と。それはもちろんなのですが、その美術教育は学習指導要領に則っているということを大前提にしていることを、ものすごく感じました。上から「必要です。」と決まったことはやりますと。


フィンランドの教育では、1994年当時29歳 (若い!) で教育大臣となったオッリペッカ・ヘイノネン元フィンランド教育大臣が、大改革をおこなって、先生等は自由にカリキュラムを作れるようになったそうです。しかし、そうさせるために、先生は博士課程までを修了しないと先生にはなれないと決めたそうです。つまりは、しっかりとした知識と経験を積んだプロフェッショナルではないと先生にはなれない。その分、先生になった時には必要に応じてある程度、自由なカリキュラムを任せられるようになったそうなんです。


その点、日本とは大きく違うわけなのですが、日本人は世界的にも信頼されている国民性があるのは、日本の教育の賜物なんじゃないかと思います。フィンランドは人口が少ない国なので、移民も多く、また、いずれ国外へ出る子供たちも多いことを見越しての、異文化や差別に触れて考える教育をたくさんしていているそうなのですが、日本は島国なのでそれをそのままやれば良いかどうかは別で、どっちがいいって話でもないかなと思います。それをPISA1位といっても、そのまま真似るのはまた全く違う話だとは思っていて ( と、どんどん話が・・・)


という私は、全くTHE教育の人ではなく、アートを身近に感じてほしいというところから、アーティストの思考や、こんな考えをアートとして作品にしているのって面白いね!というところを、対話を通じて楽しむ、、、まーギャラリースタッフとして、お客さんが来た時に説明すると「あっそういう作品なんですね!」というのを、アートに全く興味ない人でも、まずは自由なおしゃべりから気軽に楽しんでもらいたいというスタンスなのですが、、、、


アートの鑑賞はとても面白いものなのに、どうして多くの学校の図工や美術で、どんどん取り入れられない(一般的になってはいない)のだろう?と、疑問に思うところが多くあったことが、美術教科書なども取り寄せながら考えてみたら、少しスッキリしました。


つまりは、アートの楽しさに触れるよりも、木の温もりの大切さであったりとか、デザイン性についてであったりとか、色の違いとか、技法など、そういった教科書に載っていることへの理解を深める授業であれば、取り入れるのだろうと。


・発言が増える

・表現が豊かになる

・語彙力がアップする


などの、対話型鑑賞が謳っているそういったメリットは美術の授業としては注視していないのだと、ふと感じたものです。それならば、そっちに振り切ろうじゃないかと思った矢先、


「私たちは学校の外の人ですからね。学校のことは学校に任せましょう」


と、また別の方からのお話をお聞きして「確かに・・・」と、やはり学校の現場は少し私の描いているものとは違う場所なのだと。そういったこともあって、中学生当時、この古典のレ点とか社会のニューディール政策とかって今の私には全く関係のない、全然必要じゃない、なんて無駄なんだと。そして学校自体が苦痛だと感じて、中学校へほとんど行かなかった私がいるのですが、、、そう思う感覚は、今もずっと心の中では変わっていないようです。


でも何かが決定的に悪いってわけではないんですよね。ただ私にはどうしても合わなかった。そういう同じような気持ちでいる人が、対話鑑賞の道には多いのではないかとも思うこともあります。

  















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