フィンランドの教育力 / リッカ・パッカラ

 







youtubeで、フィンランド教育についての動画を見てから気になったフィンランド教育。自分の中での勝手な「アート大国」フィルターをかけて読んでいましたが「ほんのわずかな交通費が出せずに (課外授業に) 4回行きたいところが2回に削られる。」と、美術館や博物館へ行くのも、日本と同じような頻度で、保護者からの寄付を募っての回数を増やすというやり方は、禁止となるなど、もしかしたら日本の方がそういった課外活動には寛容なのでは?と思う箇所もチラホラと。

また、家庭で行うこと(礼儀など)と、学校で教えることが、混在してしまうというケースには、やはり親の影響が大きく、子供に注意しても難しい場合は親へと「そつなくていねいに」をモットーに、時間を惜しむことなく真っ向勝負な対話を大切にしているのがとても印象的でした。

例えば、子供にだって、親の前では見せない顔を他で見せているという事実を親に伝える時にも「あなたは自宅にいるときとオフィスにいるとき、同じように振る舞っていますか?」と、誰も否定しない感じのやりとりが随所に見られて、その親御さんへの対応力というか、尊重しつつも子供の為に言うべきことをほんのりと匂わす感じが、絶妙な心地よさを孕んでいるものばかりでした。それは、例えるなら英語の翻訳でも直訳になりがちなところを、ネイティブの人だと一つ気の利いた言葉で伝えることができる。そんな感じで、リッカさんには何かが身についている感じでした。その何かという中に、具体的なスキルとなっている修士号というフィンランドで教師になる為には必須条件があるんでしょうね。

それでも、なによりも本の中で強烈だったのは、リッカさんが日本へ来て、運転免許の講習会に行った時に感じた衝撃。日本人としては、交通事故をしてしまって思い悩んで自殺したりみたいな動画は確かに「あーいつものやつね」と、当たり前に見てしまいがちですが、リッカさん的には「こんなことを見せられたら、、、、」と。確かにそうですね。おぞましい教訓も押し付けられてか、私は車に乗るのが怖く、それが事故防止の抑止力となっていることもありますが、全く健全ではないですし、youtubeでそういった言葉は使用できなくなっているように、なにか精神的な影響を確実に与えてるはずです。
  
そういったことからも、フィンランドの子供たちにはあまりニュースを見せないのだとか。それは大切じゃないとか、まだ必要がないというよりも、もっと他に見て感じるべきことが、発達段階的にはあるということで。

学校という場所が、家庭や仕事とも分断されることなく、続いている。そして、子供も子供だからといって大人と分断されることなく、大人も、大人だからといって子供との時間を分断されることなく、一緒に暮らしている。それが人としての幸せ。そう思える子供が、大人になれば、自然とそういう家族となりますね。

そういった幸せの連鎖が続いているように感じました。











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