「ドリーム (HIDDEN FIGURES)」 セオドア・メルフィ

 




真夜中に偶然やっていたので、ついつい見ていたら惹き込まれてしまった。 

バスの座席「非白人用」と書かれ白人と黒人とで分けられり、 
キング牧師の「 I have a dream 」など、知識として知っているけれども ・・・
いつも思うが、こういった歴史は、その時代にどう日常に反映されていたのか? 
ということを知ると、強烈な印象としての残る。  
「もし、自分がこの時代に生きていたら?」と、想像しやすいというか。。。 

ずいぶんと昔だけれども、フランスに行った時に  「チャイニーズ!」と、
すれ違い様に大きな声でアジア人をバカにされたり、  
明らかに空いている電車内に座っていたら、  小さい子供の家族連れが私の目の前に立って、
言葉は通じなくとも「どいて」というのを感じて、移動せざるを得ないという体験をしたり。  
日本に住んでいると、目の当たりにはない日常の当たり前を体験することは、
教科書を読むんで学ぶ知識よりも圧倒的な理解になる。      

差別を体験するワークショップとして有名なのが  ジェーン・エリオットの「青い目茶色い目のワークショップ」。  
私たちは黒人が差別される気持ちはわからないと思っているけれども、    
人と人との間で、ある条件され満たされてしまえば、同様に "それ" は起きてしまう。      
生まれ育った環境よりも、人と人との間で自然に起きてしまうそのことは、何よりも恐怖ではないかと感じる。

映画の中では、黒人どころか女性が専門性を高めるために進学することすら許されなかった時代に
逞しくNASAの技術者として活躍する姿を描いていますが、
同時に思うのが、こういった状況から生まれた反骨精神や不屈の精神は少しはあるかもしれないと。
アスリートが極限のトレーニングを積んで強くなるように、、、
望んでいない子弟関係が、差別の環境下ではある程度機能してしまう、そんなことも感じました。

すごく印象的だったのは、

「誤解しないで、私は偏見はないから」と、今までの誤解を解くように話す白人女性に、
「わかっているわ。そう思い込んでいるということを」と、優しく答える。

というようなやりとり。
無意識的だったことを改めて自分で意識したとしても、
それは、到底及ばないということは、いろいろな場面であるようにも思いました。

それを "理解" や "共感" とか ”埋める”とは違う、
新しい言葉が必要だろうとも思いました。
















   





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