アフォーダンス的思考




山を登っている足もあるけれども、足で登らせてくれた、山肌のサーフェス(ごつごつしているところや、平坦なところ、湿っているところ)があってからこそ登ることができた。というような、アフォーダンス(環境が与える影響から考えてみると、すごい面白いなーと、秋元雄史さんの「アート思考」を読んでいて、それこそコペルニクス的転回。

 

そうなると・・・寒いと感じていた身体があるより前に、寒いと感じさせてくれる季節、外気があること。そして、コーヒーを飲みたいなという欲求を満たしてくれるには、まずコーヒーがなきゃいけないし、コーヒーがあって、コーヒーを飲める口と喉、味わえる味覚があって、消化できる器官がある。というか、コーヒーの木が育った地球の環境とコーヒーを産むこととなった文明がある。で、寝たい私がいるのはもちろんだけれども、布団があるから横になって眠るし、例え曇っていても雨が降っていても、明るい朝が来るからこそ起きる。起きようとしているのではなくて、朝が来るから起きる。


そんな、アフォーダンス的な気持ちになったら、寒い朝のゴミ出しも、何か、寒いと思う自分と、ゴミを出すという意味があるとは別の、作用というか、、、

霧の中を歩いていると衣が自然と濡れていくような、意味が分からなくとも、シャワーのように道元の言葉を浴びて行くうちに、ほうほう、そういうものなのか、と分からないままとしても師に近づけている・・・と感じてもいなかったであろう、随分記を記していた懐奘大和尚のような。

 

自分の感覚で言えば、きっとキャンプの良さなんでしょうね。テントにいて、起きて外に出ると (アフォーンダンス!というなにかそうさせてくれる環境があるだけで、そうなっているという。心地の良さは、そういった内面の満足度とは、別のところ、もっと離れているところにあるんじゃないかと、そう思った読書の秋でした。

 

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