茅ヶ崎市美術館にて

絵って分からないなって改めて思う。
 写真の良さは、なんかいいという感覚と、
ある程度の知識と 自分も撮ってたからか、いろんな視点から見れるけれども、
絵のなんかいいって思えるフックは、どこか私の場合、
こういう絵が好きという感じで、 何がどうこうというより
単純にタイプという感じです。
辰野さん、末松さん、津上さん、原さん、麦さん、
どの展覧会を見ても、展示されてる中でこれがいいなーっと思うのは似ていて。
すごいだろうなーと思っていた、モランディーの器や花瓶は
実際に見るとそうでもなくて、 逆に風景がすごい、良いと感じたり。

昔は、ミュシャも相田みつをも大好きだったけれど、
そこに戻っていくかというと、そこに惹かれて戻っていく体の感覚はなくて、
戻っていくのは、クリムトやシーレだったり、切手でよく見ていた棟方志功とか。
写真で言うと、奈良原一高や木村伊兵衛だったり。
映画で言えば、大林宣彦監督だったり。
本だったら角田光代も好きだけど、やっぱりよしもとばななだったり、
宗派によっての教えとか、手塚治虫とか。
魚喃キリコも良いけど、そっとしまっておける気持ちになれる。

その差はなんだろうと思う。
それは、みんなそれぞれもちろん違うんだろう。
でも、そんな中で共通して「いい」って思われて展示されている
流行りとかではない ”絵” って なんなんだろうと、改めて思いました。
たしかにいいものはいい。
絵に限らず彫刻、落語や講談にしても、場や空気、人や景色にしても。
分かるけれど、なんなんだろうかと、
改めて考える時間でした。

よく分からないけれど「死」というのは、
その答えの1つかもとも思いました。





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