雨引の里と彫刻















六本木にいってアートってなんぞや?とザワザワと感じて、
雨引にきて、自然や畑と一体化できるものが良いアート?
ともなったけれど、きっと目的の違いなんだなーっと、思い始めました。
 前だったら好きな作品は好きと、ふつうにそれだけと思ってましたが、
アートが一個人の表現ではなくて使われるものとして考えたとき、
捉え方が全然違うものになるんだろーなーと。  

家を探す時にあげる条件もそれぞれかと。
料理がしやすい。駅から近い。大きな音が出せる。
アクセスが便利。閑静。
人によって感じ方と違うし、
不動産屋さんによってもオススメが違ったりするけれど、
それは全部 ”部屋探し”といえる。

この街にアートがあることがどういうことか。
この街にアートで何ができるか、
この街ならどんなアートが良いのかによって、全然違うかもしれない。
さらっと見た中で津田大介の作品だけが浮いてた気がしたけれど、
それは、良い悪いじゃなくて、ここにはこれを置くことで、
例えばその違和感を出したかったかもしれないし、
逆に場所と作品がうまく合い過ぎてるものに対して
良いと思うところからの思考とは、全然ちがう動きが生まれる。
六本木アートナイトのアートは祭りイベントそのもののツマならば、
雨引のアートは、地元の方との20年の調和みたいなとかとも。
でも、こんな風にアートが日常に入っていくことで、
なにか、同じ作品でも見え方が全然変わってくことが、面白かったりします。
まるで人と人との恋、その先の嫁姑、家族、社会ですね。

人気の投稿