青木野枝「ふりそそぐものたち」長崎県立美術館




長崎県美術館に来たのは、
昨年亡くなられた長澤英俊の展覧会を見に来た2010年以来です。
もうあの時は埼玉で長澤さんのオーロラに触れて、
ものすごい感動した身体のまま、追っかけるように長崎の地へ向かって、
中華街の花火屋さんで、何故か坂本龍馬のブックエンドを買ったんです 笑
あの時着てたマイケルジョーダンのTシャツを見て
「ない?わんちゃん?」と言われた、そんなことをよく覚えています。

野枝さんの6年ぶりの個展。
豊田の時も見たけれども、見て感じて思ったこと。
石けんが乗っている鉄の台座の作品「立山」がある。
アウシュビッツで人が石けんにされてもいたと聞いて、
人が、石けんになっちゃう。というところから作品が作られたことを
知っていた事もあったからかもしれないけれど、
鉄が台座とか、ケースに思える。
で、石けんそのものの美しさに惹かれて
「こんな石けんあるんだー」とか「いい匂い〜」と、やっぱり思う。
そこから鉄を見て、すごーく気付いたことがあった。
ある視点から見ると、とても歪んで不安定に見える台座が、
違う視点から見ると、とっても安定している。
その不安定な安定さとか、石けんが生きてそうとか。
そういう、なにか人らしい何かがいっつも揺らいでいる用に感じました。
















そこから石膏の2つの大きな作品を見ると、
やっぱり人を感じました。
なにか温かみがあるのは、手の痕が残っていて、そして
立山と同じように、頭で例えると「絶壁」みたいな角度があって、
でも、違うところから見ると、ものすごくまん丸くて。
これって人そのものだなーと、思いました。

そして、隣にある2つの水盤。
これと、石膏と水盤が2つづつで、関係性が見えてその場にいて気持ちがよかった。
この水盤がひっくり返ってもいいし、あの石膏の中にいてもいいし、
それぞれの水盤が月面のクレーターのようにボコボコとしていて、
とても広い宇宙っぽくて、そしたら、
そこに石膏が吸い込まれていてもいいなって思えました。



と、思いながらガラスが入った鉄を改めて見ました。
他の作品との繋がりがなんとなく自分なりに解読できていく中で、
これだけが自分の中で「???」でした。
でも、ガラスを透かしてよーく見ると、やっぱり手仕事が見える。
◯と◯とがとっても安定して組合わさっているんだけど
ガラスが怖くて、そこで自分がちょっと不安定に感じる。
でも、見えているものは僕にはものすごい安定して見えた。
なんというか・・・物理的には安定するのがものすごい難しいのかもしれないけれど、
上の方が輪でくっついている形からは、なにかどっしりとした安定を感じた。
そこが、他の作品と全然ちがうところで、重厚感があった。












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