「ボヘミアン・ラプソディ」


会う人会う人から、ボヘミアン・ラプソディみた?
と、聞かれることが続き最終的に「見に行かない?」と誘われ見に行ってきました。
ロボットレストランにしろ、チームラボにしろ、
ちょっと自分のドストライクから外れた世界を垣間見るのを面白く感じるこの頃です。

いやー、フレディーマーキュリーって、体操選手みたいなかっこうで
確かゲイで、アサヒスーパードライって感じだったような
そんなイメージしか知らなかったのですが、
映画を観て、よく分かりました+実話ながらかなり
ストーリーの流れが上手い(ちょっと秀逸すぎるくらい)のと、
主演のラミ・マレックの憑依的熱演に感動しました。
ラミ・マレックはショート・タームに出てた時の
トンチンカンさが自然すぎる学生役で覚えてます。
全然違う印象なのが演技派ですねー。

人って、1人だけじゃあたり前に生きられない。
けど、そこで当たり前に頑張ってみたりもがいたり後悔したり、狂ってみたり。
伝説的な人でありながら人としての、
飾らない等身大なジタバタさから生まれる歌詞がシンプルにささってくる。 
愛とはなにか。孤独とはなにか。生きること、死ぬこと。
これといった細かいテーマではないものの、みんながなにか感動するのは、
フレディ自身が生きて感じていることを恥ずかしがらずにさらけ出した音に、
みんなそれぞれの生き様を投影できるからなんだろうなぁと。

歌のシーンで歌詞が出てて、みんなで歌えるんですねー。
そりゃファンは突き動かされる!と、
映画館はちょっと応援上映ともあってライブ会場ムード。
「カメラを止めるな。」的な近年のちょっと変わった映画流行りは面白い。
こういうのがあって、
黒澤とかのズドーーンとくるクラシカル映画も、より楽しめる気としました。

フレディー・マーキュリーを知ったことで
セクシャリティーやエイズにも自然と関心を持ち、
ある種のクローズドな偏見が、社会的にオープンになっていく。
結果的かもしれないけれど、言葉では足りないなにかを伝えたい時の根元には、
明確に伝えたい相手がいて、それは、愛する人であり、社会であり、
それ以前に自分である。
フレディー・マーキュリーは自分への愛を
どうにか常にポジティブに強く貫こうとしたチャンピオン。
それは、自分だけじゃなくてwe’re the champion と、歌うところに
きっと彼の居場所があるんですね。 



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