「チョコレート」マーク・フォースター



自分が辛い時に、誰かを助けることは、逃避的で、楽なことかもしれない。あらすじのおすすめの中に「カタルシスを味わいたい方にぜひ」的なことが書いてあったのは、まさしくそれだーと思いました。そして、セックスの刺激で忘れる。。。


ものがたりは、重ためな空洞の、なんとか自分の輪郭だけを保ってるような状態のままに進んで、「プラスチックのスプーンで、チョコアイスを食べる」こと自体が、最後には最悪な比喩としても、お互いの償いにも見えて、そのこと自体が、危うく愛おしい拠り所でした。


私だったら、家で食べる時のアイスクリームは断然、金か銀のスプーン。そして、外で食べるならば、紙に入ってる木のヘラみたいなやつです。でも、ハーゲンダッツはあの専用のスプーンかな。


チャーハンはレンゲ。今回の映画の中でチョコレートを食べることを、ある今での私なりな同等の意味に置き換えて言うなれば、、、袋に入った焼き芋を、食べることかもしれない。どちらかというと皮は焦げてて欲しいという。

  

思えば、あのレティシアの息子もチョコバーを食べてたんだ。途中まで開ける感じで。隠しながら。


でも、そのチョコレートという隠語は、老年の白人男性が、若い子黒人女性を抱くことなんて、ってのは、監督のお兄さんが自殺していたりするのを知ると、そういう意味よりも深いことを自然と読み取ってしまいます。とてもとても、深い映画でした。

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