「写真講義」ルイジ・ギッリ






この本は、本当に大学生(グラフィック・広告デザイン)へ向けての講義だったわけなのですね。名著としていつか読まなくては、と思いつつ、ロラン・バルトや、ソンタグと同列に考えていましたが、やはり写真家。ものすごく実践的で、写真家・カメラマンを志すものにとっての、大切な考え方。写真を通じて「描く」ことを、まったくの感覚だけではなく、しっかりと教えてくれる本でした。にしても、後半の音楽の話は異様に長いんだけど、結局自由にやれないという、仕事としての写真の話がちゃんと出てくるのが面白い。イタリアの写真の歴史が浅いことも初めて知りました。やっぱり日本は写真大国なのですね。

写真と撮る時には、いつも音楽を聴いていたとか。          

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●偉大な歴史があるとも言えません。イタリアには、重要な写真アーカイヴもなければ、活発な研究網もありません。写真が普及し始めてから数十年の間は、国の文化遺産をこれまでにない表現方法で記録するというこの能力に、そうだと自覚してたずさわる者はいませんでした。概してイタリアの写真スタジオは、自分たちの仕事を意識的に掘り下げる技術力も想像力も持ち合わせていなかったのです。その結果、ポッテーが「工房」と呼ばれるスタジオやラボに見習いに入った写真家たちは、こう言ってよければ、その将来性の低さ、無さを認めざるを得ませんでした。

●テレビというのはリアルタイムで出来事を伝えます。昔は出来事は写真でしか見ることができませんでした。一般の人または読者は、七日前に起きた出来事の写真を見るのに、一週間待たなければなりませんでした。今日では考えられないことでしょう。テレビによる時間の加速化は、ある意味、報道写真を窮地に追いやり、新たな領域の開拓を促し、例えばフォト・ドキュメンタリーなどを発達させました。

●信じられないことですが、70年代半ばまで 一74年か75年くらいまでー、イタリアには写真の学校がありませんでした。写真技術を教える専門学校も、写真理論の授業もなかったのです。

びっくらぽん!だからか技術の話が出てきたりするのは、きっと自分で1から学んだギッリはそれを、学生へもしっかりとバトンをつなげたいのでしょう。。。

 



●いくつかのことを精確に調整すると、ある特定の風景-環境の前に身を置くようになり、私たちの経験、文化、世界の見方に何かプラスαが加わるようになります。つまり、自分のことを少しばかり忘れてしまうようになります。自分を忘れるというのは、単なる複製者として身を置くのとはまったく違います。決まりごとや、前もって細かく決められた見取り図を持たずに出発し、型に嵌まらない柔軟な方法で、世界と関わるということです。革新的な仕方でイメージに近づき、イメージと関係を築くには、このような柔軟性が必要だと思います。

●最近、私はある哲学者のインタヴューを読みました。そこに書かれていた彼の写真の定義は、私がこれまで聞いたなかでももっとも美しいものでした。こんなふうに言っています。「写真とはひとつの問題ではなく、ひとつのエニグマです。問題には解決がありますが、エニグマとは解決のない問題です」。これは、定義ではなく、定義をしないための言葉遊びかもしれません。しかし、先ほど述べたことや終わりのない論争のことを考えると、このエニグマという定義に、私は大いに納得してしまいました。写真に大いなる謎、大いなる魅力、そしておそらく究極の繊細さを与えているのは、このエニグマなのでしょう。

●私にはだんだんと別の方向、別の領域、別の地平があることが分かってきました。つまり、写真家の仕事は決して直線的ではないのです。何を言っているのか分かりにくいかもしれませんので、もう少し説明します。例えば高速道路に乗るのとは違うということです。モデナから高速に乗って、ローマで降りる。その間、周囲の景色は見ない、一つ前の出口、あるいは一つ先の出口で降りることなど考えもしない。そうではないのです。問題は、たとえ決められた計画があり、正確なルートがあったとしても、途中で行き方が変わることもあるということです。写真を撮りながら、新たな刺激が生まれたり、新たな直観を得たりするかもしれない、予期せぬことが起きるかもしれないのです。計画というのは前もって決められるものですが、ア・プリオリに定められることなどありません。偶然性は予め含まれているのです。ですからそれは、まっすぐで正確な一本道というより、曲がりくねった道になります。どちらか一方に偏る道ではありません。このくねくね道を行くと、このようにルートをとり始めると、環境のなかで動くこと、カメラー台で環境と関わることは、きわめて広い問題領域と向き合うことだと分かるようになります。すると線が、本当の地図を描き始めます。それはいつの間にか、一枚の地図になります。一本の線から出発し、たくさんの小さなしるしでできた一枚の地図を見つけます。このたくさんの小さなしるしが互いにつながり、新しい地平を作り出すのです。

これは、その通り。写真の面白いと感じる性質そのもののようにも思えるし、写真ではなくて人生そのもののことでしょう。「写真は、世界を知る、人生を知る、そして自分自身を知るための口実です。」という、メキシコ人の写真家グラシエラ・イトゥルビデの言葉って、みんなそうなのに、誰も言ってこなかったんじゃないかなーって思ったりします。それは「写真」が、実はそんなにそこまで大切じゃないってことを言ってしまえないようにするためというか、行為でしかないから「写真」というモノは、実はそんなに・・・。

  



●リバーサルフィルムはポジフィルムです。ポジフィルムとネガフィルムは何が違うのでしょうか?私は、個人的にはポジフィルムはあまり好きではありません。使うには使うのですが、あまり好きではありません。なぜなら、ポジフィルムはスライドとして見るもので、プリントで見るものではないと思うからです。ポジフィルムのもっとも優れた点は、まさにこの、映写できるという点にあります。スキャナーで読み込み、写真を四原色法写真製版に換える編集では、プリントよりも作業効率の良いポジフィルムでの撮影が好まれます。けれども、ネガフィルムには柔らかさがあり・・・

●ポジフィルムの方が若干色みが強いのですが、なぜだと思いますか?それは、おそらく映写して見るべきフィルムだからでしょう。どぎつく飽和した色を出したいディレッタントがポジフィルムを好むのは、おそらくこの特徴のためです。

おもしろい。というか事実なのかも。たしかにポジをスキャンした時にはなんかおかしな?、キツさというか、まーカラーですが、スキャンした時にはモノクロの方が滑らかだなぁ〜というのは、どうして感じるというか。だから、カラーをやる時には、そのフィルム自体を見るのが美しいな〜と感じていたので、全くに同感です。




●私の写真はその反対で、物を動かすことはありません。前景にあるこの美しい地球儀も動かしていません。もともとこういう部屋で、地球儀は最初からここに置かれていました。

だよね!!!だから、私はギッリが好きなんだと、すごくその一言でわかりました。要は、メイクしていない。その場をそのまま撮るところに写真の面白さをすごく感じます。




●私の色調は、加えるのではなく、取り除いています。私がそうした色調にするのは、フレーム内に収められた物自体がそうだからということもありますが、私自身ができる限りシンプルなコミュニケーションの形に到達するために、できる限り自分を捨て去ろうとしているからでもあります。

うーむ。




●映画、写真、絵画でも、「デジャ・ヴェ」の感覚、つまりすでに視たことが話題になります。それ自体、軽視されるべきものではなくて、むしろ集合的無意識との接点、私たちの日常に不可避的に現れる他者の無意識との接点を呼び起こします。私たちが見る画像や映像、そして私たちのなかに残る像のなかに接点を呼び起こすのです。これが現代のあらゆる芸術言語で用いられる「デジャ・ヴュ」の性質です。これについてはとても長い議論があり非常に面白く、この大学で取り組んでいることにかならず役に立つでしょう。それぞれの講義内容には専門的ではないこともあります。ですから各講義の間には、すでになんらかの重要な関係が生まれていると思います。その関係にもっと目を向けてもいいと私は思います。

僕も、もっと目を向けたいと思います。その「いい!」と、感じたり「おーー!」と思う中には、多かれ少なかれ、その人との体験を共有できる、集合的無意識にアクセスできているという状態があって、そうなっているということで、作る(撮る)側にしても、実は無意識的にそうしている部分があるのかもしれないし、見る側も、かなりな無意識で「いい」と判断しているのかもしれない。だから、狙うと全然面白くない作品(写真)になるでしょう・・・・ね。




●今日、コミュニケーションの点で写真にある大事な役割は、イメージが読まれる速度を緩めることです。ーーーーー映画やテレビでは知覚するスピードが非常に速いので、もはや私たちは何も見ていません。ーーーー私がきわめて大切にしているのは眼差しの緩やかさです ー 。

お!!!これは、そうか!と、新しい感覚。そうですね。確かに写真にする意味というのは、スピードを緩める。。。そんなことを考えて写真を見たことなかったなぁ・・・。




●これらの写真は、単純な関係性を反映しており、写真それ自体というより物に意識が向いています。例えば、このポスターのタイヤ、この吊るされたタイヤ、このクシャクシャになって道に落ちていたクリスマスの星、このなぎ倒された看板に、私はすぐに惹かれました。これらは私の初期の写真で、この本にも10枚ほど入っていますが、実際にはもっとたくさん撮りました。そこからコダクロームという制作が始まりました。コダクロームとは有名なフィムルの商標名で、世界で最初に特許を取得したカラーフィルムのことです。つまり、私は制作で使うものを強調したかったのです。しかし、この制作で問題にしたのは、とくに公の場所で利用されるイメージを分析すること、道ばた、店内、広告ポスターで目にするイメージを分析すること

おもしろい、公の場で使われているイメージというのは。それも写真ですもんね。というので、ギッリのこのシリーズは知りませんでしたが、モランディよりも、はるかにギッリのやりたいことが分かって、面白いし嬉しいです。




●しかし、あくまで私は現実のなかにフォトモンタージュを探し求めました。

そう、作らない。




●1979年ですー、何かを変えなければならないと感じました。まるで行き止まりの路地に突き当たったように、ある種の探究をやり尽くしたように感じたのです。そこでカメラの大きさを変えることにしました。すると新たな思考が開かれるとともに、これまでとはまったく異なる仕方で、特定の空間や合意のある空間で対象と関係を築くことができるようになりました。

おもしろい。ギッリもそうなのですね。他にも同様な、カメラを変えることで作風、捉えるものが変わっていった写真家の人を見つけたいな・・・。




●最初に私はこう言いました。カメラは垂直に構えること、と。遠近法による絵画では、線は手によって描かれます。カメラ・オブスクーラはカメラと同じように、遠近法の規則、つまりルネサンスの遠近法のそれに厳密にしたがいます。

おーーーこれまた目から鱗。つまりは、それでないと写真はできない条件だったというわけですよね?光がまっすぐに入ってこないと、光学的に虚像ができないという。だから真っ直ぐに構えないとおかしい。とってもとても写真的です。




● 他方では、自分の似姿を完璧に描きたい、自分のコピーを手に入れたいという強烈な欲求があったのです。写真のおかげもあって、昔からあったいくつかの神秘的な考えが急速に広まりました。探検や発見の神秘、自然の調査、自然のロマン主義的な再獲得、それから、写真の発明以降広まった家族アルバムによる、個人の物語を再読・再筆記するという偉大な神秘といったものです。

家族アルバムが、広まった。。。という中には、その欲求がかなりつまっているわけですよね。どこかへ行きたい、旅したい、という中で見た体験を”持ち帰りたい”という、けっこう傲慢な。家族もこの”幸せな”(あるいは”幸せの時だけ”の)瞬間を、残しておきたい。というのは、どちらも自分の欲望であって「写真」はそれを、無意識的にかなり美化させてしまってまいか・・・?ちびまる子ちゃんの、タマちゃんのお父さんは、やべーやつだもん。


   


●アメリカが視覚的にも長い歴史をもっているわけではなかったことに関係していると思います。伝統をもたない国で、写真家たちはまず、アメリカの歴史を筆記することから始めました。多くの点で、アメリカのイメージに関する歴史とアメリカという国の歴史は、写真、それから映画により、筆記され、構築されています。広範な視覚的表象の歴史(絵画や建築など)をもつヨーロッパにくらべ、アメリカはすぐに写真を言語として認めました。写真は、潜在的に歴史を語るものであり、それにより歴史的展望のなかで国のイメージを構築できると考えたのです。イタリアには、ジョットから十八世紀の画家に至るまで、国土を描く伝統がありました。視覚的な国の歴史があったのです。アメリカにこうした歴史はなく、この意味における絵画の伝統は未発達だったのです。

●もうひとつ、写真により記録された重要な一章といえば、鉄道の建設です。19世紀のアメリカ写真を見ていくと、国民のライフ・アルバムを繰っているような印象を強く受けます。

●写真は歴史を確固たるものにし、再確認するためのシステムになりましたが、アメリカでは歴史のない風景に歴史を与えるものになりました。

そっか!インディアンも、ヨセミテも、アメリカの歴史の基盤を強くさせるために「写真」を使ったというわけですね。強さというのは、そういう強さだったのか・・・。それに比べると、日本は元から文化・伝統があったわけだから、それを写真で「崩す」みたいなことは、無意識的にやっていてもおかしくない・・・。その点で、イタリアは確かに街の中にすでにあるから、必要としない。。







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