ルイーズ・ブルジョア「地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ」森美術館
蜘蛛しか知らなくて、なぜ蜘蛛なのか知らなくて、でも、あーうんこ!って、アサヒビールのゴールデンなモニュメント見るみたいに、あーママン!ってなってて、何も知らなかったので、行ってきました。
ほー難しいと思ってたけど、なるほどに家族へと執拗なまでな執着や、愛情の渇望だったり、見放されることへの恐怖みたいなところが、ブルジョアさんの制作の根源的な欲求なのですね。
ブルジョアってきくと、高級なブルジョアーって、実際にもそのようですが、その名前のベールがすでにかかってて、なにやらに、作品も全部、品が良くて。
おちんちんを守らなきゃって、少女ってタイトルとか、リアル過ぎるけど人間のじゃなさそうなあたりとか、最高に真面目にぶっ飛んでてウケる。
「…性的な観点から言うと、私は男性性をとても繊細なものだと考えている。それは女性、つまり私が、守るべきものなのだ。これはとても重要なことである。私は男性器を守らなければならないと思う。」
「誰もが街つきやすく、また誰もが男/女でもある」
なにか見ていて、きっとブルジョアは男でも女でも人間でもない、何かとして生まれて来たのに、人間に生まれたって気がしました。
それは戦争の時代であったり、母親の死、父の不貞、父の死だったり、後天的かもですが、それにしてもシンプルに人間じゃない。でもそれがより人間らしい。
森美(六本木)はそんなに来ないし、自分からのんびりしたいなーとか率先して来たいとかは思わないのですが、来たいってなるのは、ブルジョアのその生命感、気持ち悪いほどにリアルで、ちゃんと汚い部分(地獄)を見てきた人生を、隠すとも、自分を卑下したり、自分をぐいぐい押し付けて言ってるわけじゃないからでしょうね。
多くの人が、同じようなことをやってみようとしたは、きっとだいぶ、見るに耐えない(地獄は地獄だった)ものになってしまいそうだと、すぐに思いました。
肝心なのは
わたしの意欲がどこから生まれるか
よりも
どうすればそれが生き延びられるか。
この言葉で、終わる展覧会。
その言葉にブルジョアから感じてた全ての軸が集約してる感じがして、
素晴らしいと感じました。
そうなんです。
ふつふつと死なないために、自分が死なないために
常に出し切らないんです。
つながったなら、離れないようにするんです。
だから、蜘蛛はめちゃくちゃに、ブルジョアを象徴してますね。
卵を産んで、囲って、気持ち悪くて。
けん玉も同じなんですが。
にしても、こんなにずっと、思い続けられたのは、これはある意味で、けっこうワイズな戦略的な才能かもしれませんね。