「籠の中の乙女」ヨルゴス・ランティモス

 



あまりにも静かな映画なのと英語じゃないのとポテチ食べててお腹いっぱいになって、後半ウトウトしてしまいましたが、これもまた鹿殺しに続いて「外の人」からの影響で崩れる映画。


ほんと、異常すぎる世界ですね。子供を躾けるみたいなことって、鳥じゃないですが、生まれてから、ずっとそばにいる人を自分にとって大切な存在として思うわけじゃないですか。その人から教わる1つ1つは、正しい間違いの分別もないままに覚えていくわけで。


それが、一部族の中だけの世界ならば、きっと壊れないでいられるんでしょう。世界がそれしかないので、その特殊なルールでも、それが全てになるんでしょう。でも、ここで「部外者」がやってくるです。やってくる部外者が「普通の人」だとしても、その特殊な家族を築いている中では、それは少数派な人として異常な人として映るわけなんです。鹿殺しの時には、平和な家庭に「異常」がそのままやってきたようなものでしたが、でも実は本当に異常なのは・・・みたいな。

ここも、最後の場面で娘の一人が精神崩壊みたいな感じになってますが、ああならないで、今まで通り籠の中 (塀の内側) で生きていたら、それはやっぱりおかしいんです。精神崩壊している姿ってのは、けっこう飲みの席ではあーなってもおかしくないな、という一般的には、正しい壊れ方で「自分で買ってきた魚をプールに放って、頼まれてから魚を獲る」よりも、よっぽど健全です。

おかしくないような生活をするには、やっぱり色々な人に会わせないとおかしく(極端に)なってしまう。その、小さな初動というのは、仕事場であったりということでしょう。「植物には毎週水はやってくれ」の一言が案外、怖さの元凶みたいにも映る時もあります。

  










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