「ロリータ」スタンリー・キューブリック

 



キューブリックの映画は、えっ、この作品とこの作品とこの作品も作っているのがキューブリックなの?と、ビックリするばかりなのですが ( 時計仕掛けのオレンジと、アイズワイドシャットと、フルメタルジャケットと、2001年宇宙の旅とか、おーなんとも様々 )。そんな中でも、ロリータってどんな映画なんだろうと、ずっと見たみたいと思っていました。


2時間30分ってけっこう長いなぁと思いながらも、見てみたら全く飽きる暇がなく、色々と感情をかき乱されながら終わりました。ロリータはやっぱりお母さんと瓜二つなんだなぁとか、きっとロリータはそこまで嘘はついていなくて、その外見の可愛さ故に勝手な誤解をハーバード教授以外にも招いていたんじゃないかと。で、クィルティに惹かれたのは事実で、クィルティはああいう人だけど、意外とそこまでおかしい人ではない (おかしいと分かっている自分に誠実な点で) んだろうと。ハーバード教授が、やっぱりずっと勝手な解釈を続けた上で、こうなってしまったということしか思えないけれども「嫉妬」みたいなものを、うまいこと漬け込んでいたのは、この映画の登場人物全員とも言えるような気もした。


ハンバードはヘイズをうまいこと使った。ヘイズもまた、友人を上手いこと使ってハンバードと一緒になろうと企てた。ロリータは、ハンバードをちょっと誘惑するようなそぶりを見せて上手いこと使った ( 上手いこととは思わないくらいな幼さから、自然に )。クィルティもまた、ロリータをうまいこと使おうと思っていた。それがバレると途端に、悲劇と妄想と謝罪との間で、一気に正常に戻そうとする作用が、さらなる歪みを生んで、次のチャプターへと繋がってしまう。その連鎖の果てが、序盤の発砲なのだと思うと、事実はそれぞれの心の中にしかないもので、いくら確かめようとしたり、掴もうとしたり、手放さそうとしても、自分の美にはそこまで頓着ないロリータの美しさのように、捉えどころがなく、抱き締めても得られるものではない、という感じになるんでしょうかね。

  

抱きしめる行為、発砲する行為、自動車に飛び込む行為、演技、料理、日記をつける、割り切る、好きでいる、どれも、そのような一気に正常へと戻そうとしすぎた連鎖から断ち切られることなく繋がっているような映画でした。  






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