「コスモス」 アンジェイ・ズラウスキー




どうして人は自分と相手との間で、これほどに言葉を”うまく”使いこなそうとする動物になってしまったのかということを見ていて思いました。きっと、言葉を伝えるものではなくて、自己表現するものとして使うのであれば、こういうニュアンスがそれぞれにとって的確で、しかもお互いほとんどが共感するシーン (「そうだよね」とかの愛想笑いだとか、相手の言葉を汲み取るようにして理解しようとして反応するみたいな) がすごく少ないように感じて、今私たちが当たり前に交わしている「言葉の使い方」とは何なのかと考えさせられた。  

でも1つ、同じ、お互いが「繋がった」と思えたシーンがあって、それは主人公が恋した女性と、お互いに読んだことがある共通の本の一節を言い合ってるところで、女性は多言語を話せるから「原文の方がいい」みたいなことを言って原文で伝える。それに主人公は「私は1つの言葉しかしらない・・・」みたいな、ことをポツリというシーン。あれが、この2人でしか繋がらない世界のように感じて。言葉なんだけど、もっとお互いに、言葉の奥に惹かれている部分があって、そこに共感し合っているみたいな。それが2人しかわからない世界、だから一緒になるという必然が映っているように見えました。  

そして、時々おそらく引用されている哲学者などの偉人たちの言葉がタイプライターで3回くらい繰り返されるのが猛烈に素敵でした。(  ウィトゲンシュタインの映画を見た時と同じくらいな言葉の力の衝撃。) もしかして現代になるにつれて、理解できる世界だけが選ばれ続けて、作られていっている ( 名言と名言の文脈、そこまでの過程があっての名言なんだけど、15分くらいで理解できるような名言だけが、あまりにも一人歩きしすぎている )・・・のかも、というそんな気もしました。twitterの言葉、instaのビジュアル、言葉とビジュアルのyoutubeだけの世界では語れないはずなものを、この映画ですごく感じます。一個人が捉えているこの世界の感情は、私たちが作り上げた世界に合わせなくたっていいんじゃないかと。  美味しい料理を発明するために、いろんな掛け合わせを自分で試し続けるように、登場人物のみんなが自分をずっと強く試し続けているなぁと。  私は、全く知らないのですがもしかしたらシェークスピアの大切さと、似ている部分がありそうな気にもなりました。



人気の投稿