中学生まるびぃアートスクール「考え方を考える」はじまりの魔法


 


アーティストがワークショップをやるというのは、こういうことだと凄く羨ましかった。やっぱりアーティストの考えというのは本当に面白くて、学校の美術教育の一端を担えればと、少し学習指導要領に寄せて考え始めていた自分がなんとも浅ましい感じにすら思えました。


そもそもアーティストの思考に触れるというのが、学校の美術教科書に必修としてあってもいいんじゃないかって思うくらいなので、載らない(載せられない?)のが、悲しい事実ではありますが(時々インタビューが載っているものもありますが)、このまるびぃアートスクールのワークショップのやっていることだけを見ると「なんだ?これ?」と、思う人が多いと思う。形にはなってるけど「ヒモ」がどうかしたの?薪を組んでストーブにして・・・なんなの?と。そして極め付けは「同じ絵を書いていなくていいんですか?」と、言ってくる人も中にはいるかもしれませんよね。でも、それが一人一人それぞれに違うアートの「問い」の種の姿なんだと。思考を通じて形になったものは、やっぱりアートになるんでしょう。






私自身が中一の時、風景を描くという写生授業で空をすっごく大きく、家を小さく書いていたら


「それじゃあ、家が小さすぎない?」


と、言われて、グサっと来たことをすごく覚えています。もし先生が正解を持っているのならば、それに近づけないと点数が悪くなるかもしれない。。。とまでは、さすがに私は元々アート好きだったので「へっ」と、オードリー春日ぐらいにしか思いませんでしたが、やっぱり空は真っ青に描かないと空じゃないと認めてもらえないようで、この写生会で、空を青以外で描いた人はいなかったと思います。もし、その時の心が沈んでいればそれは暗くなっているかもしれないし、ウキウキな気分だったら太陽をすごく近くに感じて黄色になっていたかもしれないのに。そういうことがアートなんだろうけれどもなぁ・・・と、私も激しくそう思うのですが、





逆に小学校の時の図工の先生は、ある日、突然黒板に大きく「個性」と書いて・・・


「みんなそれぞれでいいんです!ボレロを聴きなさい!」


「ボレロを聞いて感じて、作りなさい!ほら、黙りなさい!」


などと言いつつ、彫刻刀で好きなものを木箱に彫るというお題では、多くの友達が素直にポケモンやキャラクターを下絵に描いていたのを見せると


「なんなのこれは!!ダメ!!やり直し!もっと大切なものあるでしょ!!」


と、大きな指輪で殴ってくる、ものすごい怖い先生だったので、無難な日本地図を彫ったのを覚えています。そして、これまたよく覚えているのが、よっぽど怖かったのか、マホガニーかオークを選んで塗るというのが遅れてしまった時には、身の危険を感じて土日に「忘れ物しました!」と学校へ忍びこんで、こっそり塗ったのを覚えています。それでも、できたのを見せたら


「箱の中まで塗っちゃったの!?」


(あ、殺される!) 


「・・・・まぁ、いいわ。」


(はぁーよかった。)


と、マスキングテープを使わない塗り方の違いも指摘されつつ、そして日本地図に、なんも思い入れ何てありませんでしたが、なんとか上手くはできたんです (違う意味でも上手くやりきった)。そうやって育って、アートが苦手になった人がいかに多いかということですね。。。。


でも、先生のおかげで「マホガニー」と「オーク」はものすごく鮮明に記憶に焼き付いて一生忘れることはないでしょう。


何気なくその時の木箱も何故か外国のコイン入れとして持っていたりもするのですが、

その先生、元気かな・・・



そうやって子供達の子供の頃の体験というのは、

すごい記憶として鮮明に残るのでしょうね。











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