「ゲルハルト・リヒター」東京国立近代美術館

 ゲルハルト・リヒターと、聞くと、あー写真に鮮やかにペイントしている人、超高い人だーと、そんなことだけ浮かんでしまうのですが、見てみたら、グレーと鏡とかガラス表現が、とても面白かった。





「鏡なんて、鏡じゃん!」と、ツッコミを入れたくなるほどただの鏡で、これまた良く引用されるデュシャンの「ただの便器じゃん!」と、同じ感じで、もし家具屋にこれがあったら、これは鏡なんだけど、「把握することなく、見ること」(置かれた場所やその時々によってあらゆるイメージを映し出すもの)として鏡を表現として発表すればアートになるという。以前、知人も「ただの既製品の歯磨き粉が置いてあって、あれって美術館じゃないどっかいっちゃったら、アートじゃないよね?」みたいなことを言っていて、確かにそうだなぁと思ったものです。







はじめっから、オイル・オン・フォトなわけじゃなくて、グレイ・ペインティングがあったのは、なんか嬉しかった。あの写真とペイントのどんな作品の一番のベース(下層)にあるのは、きっとこのグレーなんだろうなって想像したら、なんか面白くて。( けっこう静かな暗い作品っていいなって思うんです最近 )







で、ここのセクションの、絵画作品と同じ作品を写真で制作して、鏡の作品でも挟んでる(映り込ませてる)ビルケナウ。この作品が未来永劫バラバラにならないためにもリヒター財団を作ったという、本当に叙事詩的な作品なんでしょう。


後々に解説をみましたが、絵画の下層にあるのがアウシュビッツの写真。展示室にもあった写真ですね。(やはり、どの絵の下層にもこういった、忘れることのない暗い記憶があるのだろうなぁというのは、すごい感じていました。 )


で、なんで、リヒターは写真と絵なんだろう、、、というか、なんてオシャレな人だなーとずーーっと思っていたんですが、ここのビルケナウの展示ですごい良く分かった気になりました。



(解説を読んでからこんなこと書いて見ていて、バカみたいなのですが ) 

試してみたのが、、、






写真の方で、いいな!って思ったところを撮影して、、、







絵画で同じ場所を撮ってみる。そうすると、その絵の中ではそこはあんまり良くなったりする。(ってか写真じゃほぼ分からないのが面白い) 






で、逆に、絵画でいいな!って思ったところを撮って、







同じ写真のところを撮ってみると、うー、なんか良さが違うと。




つまりは、この写真と絵画のいいとこ取りを、リヒターさんはやってるんじゃないかなーと思ったんです。いい取りというか、、、そういう、写真と絵画の水と油みたいな関係が生む効果を狙っているんじゃないかなっていう。しかもそれを、かなり緻密に。グレーを描くという行為も、すごい綿密にやらないと、グレーは描けないはず(ちょっとでも気になるところがあると、それはグレーじゃなくて何かを描いてることになりそう)で、その、なにか描けないことを描くってことが、刷毛の縦跡と横跡に絶妙に表してるもんだなーと感じました。刷毛のあとが縦と横にくっきりあると、あたかも描いたようには見えなくなるみたいな。ちょっと写真のそういうテクスチャーなのかな?みたいな。そういうのがあって、油彩のプリントがすごい面白く見えてきて。








でもやっぱりグレーと鏡とガラスが、とってもすてきでした。


あえて解説はあまり見ずに見ましたが、ビルケナウは、アウシュビッツと知らずに、すごい見ちゃいました。ボルタンスキーとかは、ちょっとそこまでずっと見ちゃうっていうことができないのですが、リヒターは、ちゃんと絵と写真の作品をずっと見ちゃいました。なんでかわかりませんが、なんか見てしまう仕掛けがあるように感じました。





2022.6.7 - 10.2 


ゲルハルト・リヒター展 / 東京国立近代美術館


https://www.momat.go.jp/am/exhibition/gerhardrichter/









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