ピピロッティ・リスト「-あなたの眼はわたしの島-」水戸芸術館
多少の寝不足もあったのか分からないけれども、
驚き!とか、感動!とか、もう素敵・・・!という、心がグラっと生唾をゴクっと飲むよりも、
こんなにも人って生物なのかと、クローズアップした人ってこんなにも植物なのかと。
単純にマクロなカメラで世界を捉えただけなのが、そう見えるっていうことではなくて、
チンコみたいな生物もそういえばいたなぁとか、
なんかっぽいけど、これって縮こまって萎んでいるチンコが写っているなぁーとか、
水って土と一緒になっていて、睫毛って生えてるななーとか。
暗い空間の中でふと思い出したのは、
あれは奥深い山の中のこと。車のライトも消して真っ暗の中。その時に、
死ぬ怖さというのではなくて、生きている怖さを感じたという体験。
人によっては、それは海を見ていて怖いという人もいるだろうし、
”宇宙”と聞くと、その怖さが想像できる人もいるかもしれない。
どちらかと言えば、波の音って気持ちがいいよね、とか
自然の中って癒される〜という安心感とかリラックスではない方の、自然の在り方というか、
毛ってびっしり生えてんなぁ〜、皮膚ってすげぇなぁという。
でも、その視点を植物とか静物へ向けている時には
「そりゃ、猛禽類とか、多足類とかは、そんなもんだよね」という、
何かそれはそれで”別”と、なんか私のことじゃないように区別していることが、おかしくなってくる。
そんなことを、どの部屋にいても感じました。
壁面で顔をつぶしているピピロッティーは、
きっと気持ちとしては、目もグリグリやりたかったんじゃないかなとか、
洗濯物のように並ぶ下着を見つめながら思ったのでした。
どこか、( きっと男目線からすると ) なんか白い下着は恥ずかしいですね。
白いってだけで、そんなことを感じるなんておかしいですよね。
赤いだけのものがあった棚の部屋もあったけれど、
赤いだけの下着だったら恥ずかしくないと思った。
白いというのは、どこか羞恥ですね〜
白いだけの植物は、特に恥ずかしいなんて思わないのに。
もしかしたら、最初の部屋で壊していた"車のガラス"というのは、
そういう存在なのかもしれないとも思いました。