アーティゾン美術館














3つの展示のバランスがすごい素敵だった。
鴻池さんとクールベからの、ヴェネツィアヴインナーレからの5Fから見下ろす
4Fの歴代のヴェネツィアビエンナーレの棟方志功などの流れからのクレー。
外もたくさん見れて開放的で。床の木材の向きでさりげなく
作品の線引きとなってるところは、かなり粋でした。




鴻池さんがすごい楽しかった。おもしろいよりも、楽しかった!
御茶ノ水のノワビルの大きな翼は、うん。公共の場にピッタリという感じで、
ネオテニーの時は、他の作品の印象が強くて怖い空間だったので、
あまり知らなかったのですが、なんだかすごい楽しかった。
なかなか展覧会をみて、楽しい!と思えるのはないので、ちょっと嬉しい。

気持ち悪いけど、ついついみちゃう感じの、その強さが、直視していいんだと。
直接に触れるとそれは、もうなにか超えて。












昔、幼稚園のころ、きっとこれって鼻の奥のやつなんじゃないかっていうのが、
ゴミ箱の前にべちょっと落ちていたのを、
仲の良かった3人の友達とマジマジと見ていた。
鼻の奥のやつだったら、やべぇ…みたいな、誰のだ?みたいな。
ちょっとした恐怖で止まった時間と、夕暮れになりそうな日差し。
そして、異様に丈が短い幼稚園の服。手首のゴムのキツさ。
マコト弁当の評判の悪さ。煮干しの缶。瘡蓋をぺりぺりと剥がすみたいな。
そんな楽しさがありました。

「選べない私」の”粘り強い直感力がは選ぶことを、やめる。”とか
「見る人よ何を見ている」の、”選ぶのは今回私の仕事ではない”とか。
“どんなに描くとも、知識がなくとも作家の卑怯を見つけ出し、
あっけらかんと指摘できるのは、つくる人ではなく見る人なのである。
作家さえも見つけられなかった水脈を見つける。”
言葉、いいなぁと。なにか、鴻池さんの作品を見ていると、
へんな助詞とか、接続後とかいらなくなってくる感じがします。
余計というか。。。そうじゃないみたいな。












宇宙の卵も面白かった。
座ると自分の重みの分、空気が抜けて、誰かが座るとまたその空気を感じて。(空気を感じる…!)
言葉の物語と合わせて見てると、この石が次には、割れてなにかが起こるんじゃないか、
笛の音に誘われて、アマテラスオオミカミみたいなのが、出てくるんじゃないかとか。
そういう続きを想像しました。
津波石。
自然のものを崇めるような気持ちに、何の違和感も持たない自分が、不思議。

クレーは、そもそもにそこまで好きも嫌いもなかったので、
うん。という感じでしたが、
安井曾太郎やピカソは、いつみても懐かしくて、
ZEITの頃を色濃く思い出させてくれます。

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