「ミナペルホネン:つづく」現美







ペルホネリアンは、いる。
美術館へと行く道すがら、
あっきっと展示を、見に行くんだろうなぁという格好をしていて、
「これって素敵だと思ってたけど、ペルホネンだったのか!」
と、思うものが様々。
( と、今かいていて若干マリメッコと混同していたことに気づく…笑 )
実はあまり知らなかったペルホネンを、タンバリンの刺繍…
(にしたって、すごく繊細で縫い方も1つ1つが花びらのようで斬新!)
丁寧な手間暇を感じられる。

最近、刺繍を展覧会で見つけると「ズルい。」と思う。
というのは、最近のもっぱらの感想であるのですが、
なぜズルいかというのは、愛着だったり記憶だったり、温かみ、人を感じるからだろう。
もちろん、絵だって写真だって誰かを感じるけど、それは作者その人のことでしかない。
たとえ筆を使ってても、その筆って誰が作ったんだろう?とか、
絵の具にしたって、誰が作った絵の具なんだろう?なんてのは、思い浮かべない。
ただ、糸を想像したら、紡いでいる誰かと針が浮かび、
糸を染めてる誰かが浮かび、染料の草木とつながり、草を食べてる動物とつながる。







皆川さんも、どんぐりや石から着想を得ていたり、
会場内にある家をみたら、これってシュタイナー?と思ったらフィボナッチ。
にゃるほどと…。これは映像にある事務所の雰囲気にしても、
環境的にみても、人にとっていいもんじゃないかと。

日本はやはり工芸的な国だなぁ、と。
僕も当たり前に見入ってしまう。美しいと思う。
それは、形や余白だったり、大胆さの中にある、
細やかな気遣いだったり、まず着心地が良さそうと思える品質だったり。

デザイン…を越えてアート。
アートはでも、デザインになることは、それって下に下がること…?
そんな垣根がなくなれば、とっつきにくいアートだって、
「なんかいい」と、ただそう言えるんじゃないかと思った。
デザインなら多くの人から許されてるような、なんかいい。という単純なところ。
アートでも、それでもいいんだと思うんです。
ミナペルホネンは、なんかいい。だけで終わっていいし、
なんかいい。だけじゃ終われない「つづく」を想起させる、アートでした。 



人気の投稿