「海辺の映画館 - キネマの玉手箱 - 」大林 宣彦
いつもいつも始まりを見た時に「これなに?」と思ってしまう。
大林監督だとわかっていても、
ものすごいたのしみにしていた準備をいつも壊される。
ものすごいたのしみにしていた準備をいつも壊される。
それは、茂木健一郎さんの ”脳が追いつかない時、人は感動する” から始まったと…でも、ない気がする。
大林監督の映画はいつだって、脳は追いつけない。
茂木さん言葉で「それならば・・・!」と、
野のななののか、花筐、そして海辺の映画館と、更に加速したような気がする。
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大好きなことを伝えるのは難しい。
大嫌いなことも伝えるのは難しい。
戦争を嫌だっていうことも、戦争って最高!っていうことも、
「嫌だ」ってことが当たり前すぎていて、
シーソーに乗っかっていた「最高」な可能性が、
自然と跳ね上がって頭に飛んできて割れて自分に傷跡がついた感じがした。
自然と跳ね上がって頭に飛んできて割れて自分に傷跡がついた感じがした。
なにか本当に体験したみたいです。
当たり前に戦争はダメ。
でも、当たり前すぎてわからない。
当たり前に戦争はダメ。
でも、当たり前すぎてわからない。
でも、もし身近な人や大好きな人がそれを言ってるのならば、守れる気がする。
でも、自分なんてのは分からない。
何かのちょっとしたきっかけで不倫をしてしまうかもしれない。
何かのちょっとしたきっかけで不倫をしてしまうかもしれない。
大林監督の映画で1つ「なるほど」と思ったのは、
なにかの映像か文で、いつでも少年の心を忘れない。大人になりきらない。
映画をつくる時には、いつでもそのことを頭に浮かべている
というようなことを言ってた。
例えば、オバケなら首だって飛んでくるし、
好きな子に恋すれば身体は反応するし、嫌な奴は穴に落としたいし、
あたりまえに宇宙にも行ってみたい。
多分、大人になってくにつれて、上手く生きるために
変なルールを覚えた分、捨ててきてること、
あえて選ばなくなったことを、恥ずかしがらずに、みんなやりたいんだと思う。(と、超満員の客席、取材メディアの多さを見て)
私たちって僕たちって原来こうだったはず。というのを、
平和への願いも込めて感じさせてくれます。
きっと、大林監督のどの映画を見ても思う感動の全てが、
この作品が宝箱のように詰まってる。
だから、キネマの玉手箱なのか…!
本当にすごいなぁ。
本当に3000年生きてほしいです!!
エキストラとして参加して、ちょびっと映ってた自分はテンテレテンでしたが、
すごく勝手に、思い入れを感じられる作品となりました。
ありがとうございます、大林監督!