アートの森 de ピクニック  露口啓二「自然史」展





ツ千代田3331nap galleryにておしゃべりしながら
露口二「自然史」の写真展を鑑賞しました。
帰ることが難しくなってしまった福島地域の自然 (nature) の姿を撮影した作品。
説明なしで鑑賞しているのですが、
特に目立った標識もないのに、自然とこの景色を見て
「福島」と直結して理解していきました。

私自身、露口さんの作品の核をよくつかめないままの鑑賞だったのですが、
みなさんで鑑賞していくうちに「おお!」と、理解できるポイントに達したのが、
ものすごい発見でした。
露口さんのシリーズ「地名」との繋がりも、なんとなく分かるものの、
おしゃべりしていくうちに身体や空気で理解できていたことを、なぜそう感じていたのか?
言葉の枠を作っていくうちに理解できた気がします。
それはみなさんと対話していく中での行間のことですね。
分かっているようなことを、分からない中からもっと分かっていく。
なんとも、おしゃべりの凄さを感じた対話の会でした。


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出た意
 
人工物が写ってるからこそ寂しく感じる。
  人工的なものがなければ、普通の自然にえるかも。
 
人工的なものがあると分かると、突然に寂しくなる。
 
元々、人が刈り取っていた草だからこそ、伸びていってもっていて、
  草がひっそりと生きてるような感じがする。
 
人の家に生い茂っていて、草の力さを感じる。
 
テトラポットが荒れていたり、が横たわっているのをみて、
   
なんかだなと付いて、送電線やクレンのところから、
  ここが「福」だと思った。
 
一本松のところが福っぽい。
 
手前の石があまりにもきれいにならんでいるからこそ人の手が入ってない感じがする。
  人がべたならば、あえてランダムにすると思う。
 
木の上の方が、人の手を加えなくてもこんなにもキレイな三角に生えうなんてビックリ。
 
人の手を加えなくても花は手にいて、四季が巡っている。
 
自然にとっては心地よい境。
 
人がいたは植物が邪魔をしているようだっただろうけど、
 
 逆に今は家が植物を邪魔してるようにもえる。
 
植物は伸び放でもあまり荒れているとは思わないのに、
     
家の部分がびてたりすると何か、荒れてると感じる。
 
いろんな色の草が自然と生えている。
 
写真家の方は「ここだ!」と、いい所をんで撮ってるがする。
  松もクレンも、海も、草のバランスや比率が良いところを撮ってる感じ。
 
波がだとして、その比があるからこそ、他の作品に比べても「静」という感じがする。
 
近くに柱があるし、家の周りは元々、庭だったのかもしれない。
 
のことを知らない子供がたらどう思うんだろう?
 
牛をっていたところ?山からの水をっていたのかもしれない。
 
夏が来れば当たり前に茂って、秋冬は当たり前に枯れている。
  
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ちなみに、みなさんが真入っていた上の写真は、
を通じてストを考えていたものでした!

それぞれの川の写真をて考えるスト
ちょっと面白いカタカナの名前はは川の名前(アイヌ語)。
みなさんはどんなストが浮かべますか?
















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