「カミの人間学」岩田慶治






1. 夜・宗教以前

夜とは一体なんなのか・・・。夜は1日という単位にまとめられてしまうほど日中とは同等ではなく、太陽の出ている世界、太陽の沈んだ後の暗闇世界というような、分つ2つの世界があり、それを繋ぐような枠割として黄泉やら異界といった世界観がある。その窓の役割を果たすのが神という存在というような話で、私もそう思う。夜には、夜に生きる生物がいるのだから、私は、その生物が心地よく過ごせるように、しっかりと寝なくちゃいけない (と言いながら深夜に書いてますが )。といっても、それの具体的に見たくないのはゴキブリやらネズミやらムカデ。つまり、それらの生き物だって生きやすい時間があって、私たちはそれを本来、邪魔しちゃいけないとは思う (というか、正直見たくないだけですが)。それが一般論としての人の生態として必然で普通で、その昼夜を逆転させることは、簡単に言えば祟りや病魔が襲ってくるんじゃないかという通説も、子ども頃からよく耳にする気がする。

夜、神社にお参りすることは日常生活とは真逆の行為をするから、亡くなった方の着物を左前だったりするのと同じで、それは死の世界の話になってしまうからよろしくないようで。それならば宵を強制的に明るくさせる電気の発明というのは、そもそもが神の怒りに触れるような行為なんだろうか。火ではない電気な生活になっている現代だと以前は見えていた”もの”(デジタル写真では決して捉えられない「心霊」)も、目にする機会も減ってしまうんじゃないだろうか。フィルムという媒体に相当する灯り =「火」、ぼんやりとした火越しに見えてくる世界には、神さまが”多い”って言い方も変ですが、随分といらっしゃるんじゃないでしょうか。だから、昔から伝わる妖怪があんまり見なくなってしまった (?) のは、明かりが電気に変わってしまったからなんじゃないだろうか。それでも「火」であっても、あまり闇夜に目を凝らすことは、私たちとは違う世界だから、あちら側も心地が良いものではないのでしょうね。

土埃まみれの物乞い、身なりを整えた元パイロットの詐欺師。それは、まだ人間がやっているからどちらも同じなんでしょう。そこが、ネットの振込詐欺であったりすると、またしても見えてこなくなり、いよいよ私たちはどんどんと、見えざるものの存在を蔑ろにしてしまうと。鎮魂も含めて、罰当たりにならないように日々のお祭りなんだろうから、わたしたちは、アジアの各国が夜の畏怖に気づかれないように静かにするように、せめて三が日は、本当に何も ( 本来は火も、食べ物も食べちゃいけないはず ) せずに静かに過ごすべきですよね。

何かと何かの様々な狭間に、いらっしゃることでしょうから。とか言って、これを書いているのは、もう深夜2時なので全然だめなのですが。

  

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2. 「妹の力」考察

「遠く危険な旅に出ようとする兄弟、あるいは戦地に出陣していく兄弟にたいして、姉妹が手拭いをあたえる。黒髪を切ってあたえる。いったい、これは何を意味しているのだろうか。」(67p) 確かに、シンプルに疑問に思う。でも、たとえ頭で理解していなくとも、すでに体は知っているような当然の行為かと感じる。加えて、前文の泥を相手の顔に塗りつけたり水をかけたりする、別れや歓迎の意味を込めた行為というのも、もしかしたら泥を塗る行為そのものではなく ”その村の人によって”、もしくは”人の手によって”ということの方が、重視されるべきではないかと思いながら読んだ。人から何かを受け取ると、その人の気持ちがこもっている(しまう)。だからこそ、例え頂いた瞬間に不要と切り捨てようとしても、有難く悲しいことに捨て難い。ことさら髪といった有機物であると、それは体へも浸透していくのではないかと。泥も有機物であることで、相手との関係性を強制力高めに繋げる枠割を果たすのではないかと。呑みニケーションでお酒を強いられて飲むというのも、もっとも分かりやすく直接身体的な関係性が生まれて、大変な近道なんでしょう。沖縄県宮古島のバーントゥの泥は臭いと聞く。それは生理的な反応として忘れることはなく、だからこそ親密さを感じるという、石津智大さんの神経美学の著書の中の「醜い絵」に対する、扁桃体の反応と同じ・・・かなと。

結びの話も、結ぶ人がいて解く人がいる。ハサミで切ってしまうという最短の荒技は無機質なハサミであるからこそ私たちは「なにか違う」と、身体が感じ取る。そこが例えば有機的な石や草で切るのであれば、勝手に呪術を感じ取ってしまうのは、私たちが生きているからなんでしょうか。結びとほつれの同時性は、結婚式での「初めての共同作業です!ケーキ入刀!」と同じ系統で、それもまた釘を一緒に打ち込む景色と重なり、さらに擬娩の話を聞くと、これはアリ・アスターの映画「ミッドサマー」で、訪れた集落で恋人が生贄となり、とある一人の村の娘に好かれ、性の儀式を村の女性たちの輪の中心でするわけだが、その様子を恋人が目撃する。悲しみに打ちひしがれた彼女の感情に寄り添うようにして、他の村の女性がまるで集団ダンスをするかのような波の畝りとなって、体の動きにリンクして共有する。あのシーンを思い出す。きっと、感情と身体の切り離しを行なっていたのか・・・と、今ふと思いました。 ( その後、彼女は村を収める長として選ばれるまでになる )。

「いわゆる未開社会にひろく見られる習俗の一つに擬娩(ぎべん)ということがある。出産まちかになって妻が床に臥すと、夫もまたその近くに横たわって休む。妻がらめき声をあげて分娩しようとすると、夫もまた自分が子供を産むかのように痛苦の叫びをあげる。分娩のまねごとをするわけである。考えてみれば、いや、考えるまでもなく、実に馬鹿げた滑稽な習俗である。さすがに未開人だ、といいたくなるかも知れない。しかし、この習俗を時間論として解釈すると、夫は妻の時と一つの時を持とうとしているのである。夫と妻と、時を同じくしようとしているのである。」(76p)

「一本の釘に夫妻の手をそえて持ち、釘をたたく。そのとき「この釘はあなたの音」と夫がいい、「この釘は私の音」と妻が応ずる。そして後日、妻が産気づいたときに村びとの誰でもよい、この釘をぬく。動がぬけるように、赤ん坊が無事に生まれる。そういう一種の呪術である。いや、呪術というよりも、釘の時とおのれの時と、二つの時を同じくしようとしたのである。同時というかくれた時をそこに見ようとしたのである。」(77p)

自然や山からの”おそい”の恩恵を受けつつ、感謝を伝えるとともに、永久平穏を保つための実証のない行為が生贄だったとしても、やはりどうにも頷けない部分はありますが、悲しみをモノマネ的にシェアする共同体意識を持つということは、安定を取り戻す運動としては割と効果があるんじゃないかと思ったのを覚えています。一緒に笑い合える人がいればもっと楽しい、一緒に悲しんでくれる人がいれば、自己負担しきれず溢れた感情を元の状態へと戻すための基準となってくれるかもしれない。大きな試練もチーム一丸とあれば乗り越える。ここまでくれば、社訓のように当たり前と毎朝、声に出している人もいそうですが、その大事なエッセンスだけを取り出して敢えてやっていると「宗教」と見えてしまうだけで、みんな自然とコミュニケーションの中で実は、すがるように求めていることもあるんだろう。その個人の欲求として求めている部分と、習慣となって組み込まれた共同体生活の間で、今はみんな働いて、新しく、より良いコミュニティーをもっともっと作ろうとしている気がしますが、それを例えば、やめる時には「ハサミ」で切るのか、それとも違う何かで切るか・・・やめ方にもまだまだ選択肢が必要そうに思います。いうまでもなく、ブロック!はハサミ系ですね。

 ( サンカの目撃例の本の中でも、栗の花の咲く頃に、男女が同時に盛り合うようなことが書かれており、それもまた個人の感情や恋愛というよりも、共同体においての継続的な生活の一部なんだと思う。そこまで極端ではなくとも、結び目をどう考えるか ) 

人間が共通に持つそういった大きな無意識が、夢となって現れる世界がもしあるとしたなら、同時に同じ夢を見る予言的なこともあるのかもしれませんね・・・? ↓ 

「 『日本書紀』をよむと、「二人同夢」、「三人同夢」というような文章に出会うことがある。夢はもともと現実のかくれた側面を伝え、未来のきざしを告げるものであるが、その同じ夢を二人が同時に見た、三人が同時に見たというのであればよほどの大事件の予告なのである。日本だけではなく、古代的な社会では夢は単なる夢ではなかった。イバン族の場合にも、かれらはよく夢を見るという。夢で鳥の声をきき、夢で鳥と語り、夢で鳥になる。だから、村によってはそこで夢を見るための小屋をつくっている。夢を見る、夢のなかで語りあう。それは夢という名の世界、かくれた時のなかの話なのである。」 (75p)


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3.不思議の構造

冒頭の、火災・盗難防止の呪文「滴水懇禱」の文字を取った3、4日後に空き巣に入らて、大切な金品を盗られてしまったお話。兵に入隊中、浮ついた気持ちでつい浪費してしまったその1日に限って不意の所持金検査が。他の皆は、管理不行届でビンタを食らう中、こうなったら一か八かと適当に言った金額が、なんとピタリと財布の残金と合って難を逃れたこと。そんな不思議な体験談は、思い返してみても私の個人でも、また他の知人の誰かからも、必ず2・3聞いたことはある。それは米粒を食べ残して行った場所で、そこで稲作の信仰をしていた人が「おー神様!」と、信仰深い村人が感謝を述べて、実際に豊作につながったような話からしても、何かしら私たち同士の不意なエネルギー交換という巧みな誤解を基本に、複雑怪奇に起きている話なのかもしれない。すごく日本昔話的です。

興味深かったのは、紐、首飾り、儀式の中で中心をまわるという行為、とがリンクしている部分。

「イバン族の村に行くと、今日でも、昔、手にいれた頭蓋骨を荒目の網にいれて吊してあるが、あれは頭のなかの魂が外に出てしまわないように、網をかぶせてあるのである。とにかく、紐でしばる、糸をまくという行為によって魂を身体につなぎ止めようとしたことは疑いない事実である。紐でしばる、糸をまく、その紐、その糸がたいせつだったというよりも、しばる、輪にまくという行為によって魂をなだめ、身内にとりしずめると共に、それによって魂の力を強める、そういう作用を期待したのであった。だから、紐がなければ紐でしばる真似、糸をまく真似をしただけでも効果があった。」(106p)

「私はこの問題についてすでに述べたことがあるので繰り返さないが、そこで注目したことも紐の輪、糸の輪そのものの形ではなくて、むしろ輪をえがいて「まわる」、その動作であった。したがって、首飾りにおける玉の緒の場合にも、緒を輪の形にととのえるというのは結果であって、たいせつなことは玉を貫いて輪をつくり、その輪を首のまわりにさげるという動作なのである。魂を強くしばる、魂を象形する糸の輪にフーと息を吹きこむ、魂のまわりをめぐる、これが魂結びという行為のもともとの意味であった。魂結びという習俗はひとつの宗教、早くいえば呪術であった。したがって、紐、糸、玉の緒はそのさいの道具であって、呪術ないし施術がすんでしまえば、このものにさしたる意味はなかったのである。」(108p)

首飾りは装飾品ではなく、自己の中心を意識して魂が抜けないようにという呪術の残骸であれば、例えば、朝起きて首にかける時が大事なんだろう。それはもしかして、結婚指輪がリングであることとも繋がっているかも・・・?そして、紐。私は、紐のある服を着たいと漠然と数年前から思い始めているのですが、そうでしたか。「魂と体を繋ぎ止める」となると、ダラっとたらした紐ではなく、着物のように縛っておきたくなるような・・・でも、自己を大地やら世界に解放するという意味でわざと紐を結ばない民族もいるのでしょうか。それには、そもそもの結びがないと効力もなさそうな。。出雲大社でも、しめ縄の締め方が逆で、怨霊となって災いが起きないようにと、閉じ込められているとも言われる大国主命。。。

また”纏う”や”羽織る”という行為にも、意味がありそうですよね。どうしても現代の「着る」という意味が、本来別にあるような気がして、着るべき意味ある物がここ最近ずっと見つけられずにいて困っています。1つ、草履や雪駄のような、良く分かりませんが、親指と人差し指その他を”分ける”足袋が、しっくりきています。あれはなんの意味があるのか・・・と、AIさんに聞いてみたところ 

・神事や公の場において「裸足(あるいはそれに近い状態)こそが清らかで誠実である」。袋状の靴は「足を完全に隠してしまう不自然なもの」と捉えられたのに対し、二股の足袋は「素足の形や機能をそのまま残した、裸足の延長線上にあるもの」 (有限会社 巽繊維工業所)

・日本は世界的に見ても珍しい「靴を脱いで家に上がる文化(床上生活)」を持っています。民俗学において、家の中は「清浄なウチ(内)」、外は「不浄なソト(外)」と区別されます。足袋はもともと、外で汚れた草履や下駄を脱ぎ、清浄な畳の部屋に上がるための「室内履き(一種の下着)」として発展しました。指先が分かれていることで、外の履物(草履など)を「掴む・脱ぐ」という動作が、手を汚さずにスムーズに行えます。(丸屋履物店)

・古来、日本の信仰において、大地には「土地の神様」や「精霊」が宿るとされてきました。素足で大地を踏みしめることは、「大地の霊力(エネルギー)を足の裏から直接受け取る」、あるいは「足を踏み鳴らすことで大地の神を呼び起こし、鎮める(反閇・へんばい、相撲の四股など)」という強い呪術的な意味を持っていました。

なるほど、、、外の「ケガレ」を手を使わずに脱ぎ履きできる点・・・確かに。そして、清らかさとして素足に近いように。。。不思議なんですが、サンダルでは感じなかったけれど、サンダルに足袋のような靴下を履くと、大地を踏んでいる感が強くなるんですよね。その大地を感じるところが私はとても心地が良いです。

魂結びも、ケガレやハレとケと同じくらい、日本人にとっては意識しないとですね。


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4.民族のなかの生と死

改めての夜と日中との狭間の話。夜は確かに私たちのものではない。本のタイトルが「カミの人間学」なのだから、スピっていて当たり前なのだが、ここはさらにスピっていました。光と影の間、男と女との間、そういうところにも”カミ”のようなものは降りてくるわけで「カミ」。今思うと「神」= GODという意味ではなくて良いのだ、山窩は「サンカ」なわけで、賓は「マレビト」。このカタカナ表記することに、なぜ?と思っていましたが、そうなんですね。カタカタという特定の意味を排除した表記にすることで、性別も持たず、可変で多様に繋がれる仲間になれるんだと思いました。

私が私じゃなくなる瞬間。そして誰かが誰かじゃなくなる瞬間って・・・思えば私たちは夜には寝ているわけでのその寝ている状態で見る「ユメ」というのも、どう考えても揺らいでいますよね。その揺らぎを、もうちょっと普段からちょっと脇に置いておこうじゃないかと。その彷徨う揺らぎは実は「シ(死)」の中にもある。生きて目に見えていることだけが現実だとあまりにも、理解しすぎて生きているように思います。

「ところで一日の昼の部に朝と夕があるように、夜の部にも「あした」と「ゆうべ」があった。夜半をすぎ、味を迎えて、やがて朝日ののぼる時を待つ。その時が「あした」であり、日が傾き、あたりが薄暗くなり夕刈をすぎて「もの」と「もの」の輪郭がぼやけてくる。その時が「ゆうべ」なのであった(大野音「日本語をさかのぼる』)。「あした」と「ゆうべ」は昼と夜の交替するとき、曖昧な時間である。何となく悲しく、何となく身のひきしまるような、ゾッとするような時、「現はあしたゆうべに魂振れどー」の時である。こういう時に幽霊に出逢い、妖径におそわれるのである。(126p)

襲われるって、ちゃんと書いているのも少し笑ってしまいましたが、あるんです・・よね。「あした」は23:59から0時になる、NHKのあのPOPな時報の瞬間じゃない。明け方、日がのぼらないと明日にはならないんだ・・・!そこはすごく、根拠のない感覚として断言できそうです。なぜ、明日という日付は深夜に回るのか。なにか効率的に生きていくためだけの、数字の切り捨てな気がします。

「このような日と時間の観念は、なにも古代の日本人だけのものではない。私が先年調査にでかけたマレー半島中部に住む焼短耕作民スムライ族も、また同様な考え方をしている。いや、未開と呼ばれるスムライ族だけの話ではない。今日のマレー人が同様なのである。スムライ族の場合は、一日はム・ブトム(一夜)、ム・アリ(一日)と呼ぶ。しかし、われわれの時計の時間と対応させながら細かく問いただしてみると、ム・ブトム、つまり夜は午後七時頃から午前六時頃まで、ム・アリは午前六時半頃から午後六時半頃までとなる。何度も問い直し、相手をかえて老人に尋ねても同じなのである。午前六時から六時半までの時間には呼び名がなく、一方、午後六時半から七時までの間はスンジャ・カラと呼ぶというのである。形式的には衝がとれていないけれども、それは仕方がない。スムライ族によると、昼、つまり午前六時半から午後六時半までは人間の時間で、村びとはこの時間帯に戸外でせっせと働く。一方、夜、つまり午後六時半から翌朝六時半まではハントゥー(幽霊あるいは精等)の時間で、この時間帯に他界から霊たちがこの世へ戻ってくる。昼と夜はそれぞれ人間の世界(ヌグリ・オラン)と幽霊の世界(ヌグリ・ハントゥー)に対応しているのである。そして、スンシャ・カラは人間と岡霊が入れ替る時であり、朝の名前のない時間も、また、同様に交替の時なのであった。」(126p)

明け方の30分が、存在しない・・・。もう、私たちも幽霊のみなさんも手出しできるわけじゃない、誰の時間でもないのかもしれませんね。存在させないことがこの世界の理なのでしょう。

「インドネシア各地では男性司祭が儀礼のさいに女装することが知られているが、この場合には異装が神に通ずる手段と考えられたのではなかろうか。バリ島に残存し、生きつづけているヒンズー教の至高神シヴァは、そこでは男女高性をそなえたものと考えられている由である(吉田禎吾「女性の魔加」。昼と夜の入れ替るとき、季節の変り目、年のあらたまるときに各種の宗教儀礼が行なわれ、また、男形のものが出没する。あいまいさ、曲り角、折れ目、裂け目のもつ危機的様相が着目され、また、そこにひそむかも知れない神彩の生きものにある種の期待がよせられたのである。」(128p)

「もちろん、異形のもの、神秘の力は時間の境い目にだけ出現するわけではない。わが国のマレビトはもともと異策、異城からの来訪者であるし(鈴木満男『マレビトの構造』)、タイでいうピー・トン・ルアン(黄葉の精)は一つにはムラブリ族の異名であるが、一つには見知らぬさすらい人の意でもある。風に吹きとばされる落葉のように、どこからともなくやってくる異様な風体のもの、そういう人物が時として怖れられたのである。」(129p)

「いずれにしろ、昼と夜、光と影の交わるところ、男でもなく女でもない両性の人、人間でもなく動物でもない異形の生きもの、そしてまた半神にして半獣。あるいは、天と地の接するところ、海と山、森と野の接点、そして、ここでもなくそこでもない場所。そういう両義性、境界性に問題がひそんでいるらしい。それらを単に奇妙なもの、神的な場所と考えるのではなくて、その前に、それらを民俗の二元空間のなかに然るべく位置づけなければならないであろう。それが今日の問題なのである。」(130p)

どこからともなくやってくる異様な風体。。。マレビト。さまざまな接点、どっちでもない存在、境界に・・・。そこから探ろうとするのであれば


・都市と大いなる自然の間

・赤ちゃんであり、年寄りである存在

・生きていて、同時に死んでいるもの

・ケガレであり、ハレであるもり、ケであるもの

・音であり、無であるもの

・恐れであり、心安らぐ世界

・狐の嫁入りのような唐突な雨


それとなく「民俗」の輪郭がそれに当たるような気がして、私が関心を寄せている民俗という名前になっている実態は、そういう、全て間にあることなのかもしれないかと思いました。


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5.野生の眼

私は、かつてこんな文章に出会ったことが、あっただろうか?と。この文章を読んで、そう思った。

「・・・・こういうことを書いていると、私の頭のなかを、奇妙なイメージが去来して困ってしまう。いま、そこを流れていったのは流木の丸太である。昔、どこかで洪水のなかを流れ下っていった丸太。それがいろんな角度から裁断されて見えてくる。その一は、タテに被断されている。だからびっしりと平行にならんだ木目がみえる。柾目である。その二は、ヨコに被断されている。断面にえがかれた年輪がよくわかる。その三は、ナナメに裁断されている。板目がくっきりと浮んでいる。三様の裁断面、そのそれぞれが木といういのちの年月の断面をしめしているように思う。柾目には中心というものがない。緻密に、たがいに交わることのない平行線は、書かれざる年表のように思われる。あるいは書き捨てられた年表かもしれない。それらの線が人間の生のもっとも具体的な事実のなかに割り込み、流露する生を妨害しようとしているかのようである。それは生の事実に先行し、また、その事実を強いて跡づける座標のように思われる。これらの平行線を見ていると現代人の時間を思いだす。同心円としての年輪には中心がある。その中心を守り、いたわるように年輪の輪が重なりあつまっているようである。この柄を時間のパターンとして推理してみると、どうやら狩猟民、漁民のそれのように思われる。野獣の心臓に弾丸を命中させる。魚をその生活の場のただなかから釣りあげる。そうするとその周囲に生命の波紋がひろがっていく。あるいは波紋がその中心点に起こった事件の重大さを告知するように波だつ。古池や蛙とびこむ水の音、その音の波紋が見えるようである。板目には所々に中心があるようであって、それがない。日常の時間がここに示されているように思われる。主体的であろうとすると流されてしまう。といってまったく物理的な、意味のない時間に身を任せるわけにはいかない。人間的な時間といえばそうもいえるが、何となく農民の時間に似ているようである。繰り返しの時間に耐えることを学ばなければならないのであるが、季節的にその無意味とも思われる時の流れを中断するものがある。祭りの時である。その時が板目の柄となって表現されているように思われるのである。われわれの日常はこういうふうに価値の方位をもちながら、波のように浮沈し上下しながら、流れていくようである。」 (181p)

これは、もう個人という意思を超えているものではないかと。なにか体験と知識を、身体という自然を通じての濾過をしていく過程で、自然と落ちてきたような文章・・・。おぅーっとなって、書き留める文章ばかりです。

研究を重ねてきたみなさんのこういう話から、身体との関係性を繋ぎ止め直さなくてはいけませんね・・・。私が強く惹かれている何かの源流へとどんどんと辿れる感覚を感じとれるのも、文字と本という時代を超えて残されたありがたいものがあるものだ、とも。動画やネットもそうなのですが、どこか身体への伝導率が本というものは深い気がします。もちろん、実際にその人から声を聞く時間を共にした体験ほど深く刻まれることはありませんが。

「夜の森のなかで不意に虎に襲われる。現実に虎が飛びかかってきたのだけれども、かれらはそこに同時に悪霊の化身を見る。悪霊がおのれを虎に変じて人を襲った。そう解釈する。いや、現にそのように見えるのである。かれらは年ごとに祭りを行なう。村の社に供物をそなえて祖先の神の降臨を祈る。村びととともに祭司が祈るのであるが、この祈りに応えて神が降臨し、社のなかに鎮座する。そこに置かれた酒を飲み、供物を召しあがり、頭を枕にあててしばらく休養される。もちろん、神の姿は誰にも見えないのだけれども、その場の舞台装置を通して、村びとは眼に見えない神をまのあたりに見る。幻想といえば幻想であるが、それはわれわれの見方で、かれらの感性はそこに神を見るのである。夢のなかの出来事についても同様である。人の死後にそとへ行くという他界にしても、それは単なる観念ではなくて、一種の事実なのであった。事実だったからこそ死後の生活のためにあらかじめ周到な準備をととのえたし、遺族たちは決して物惜しみすることなく、たいせつな食糧と日常生活用具を墓に埋めたのである。見えないものが見える。見えない世界が見えるというのは、必ずしもそう思い込んでいたから、伝統的思考法に溺れていたからそうなったというよりも、物の全体性についてのかれらの感覚がわれわれとは違っていたということであろう。」(153p)

「木の葉が常になくさわぐ。誰かが内乱の企てをしているのではないか。軒のすだれが風にゆれる。待人がすぐそこまで来ているのではないか。川の流れがいつになく弱々しい。川上の村に重大な不祥事がおこったのではないか。こういう話は民族をこえ、時代をこえてひろく伝えられている。早春の山野に勢いよく花が咲きそろった。今年も豊作に違いない。こういうふうに自然の兆候を読みとり、類推をはたらかせるのである。風もないのに木の葉がゆれる。こういう表現がわれわれには素直にうけとられるがー西欧社会ではそうではないらしいのであるが!それは木の葉がゆれるときには自分自身の身体もゆれる。その身体がゆれていないのに、どうして、木の葉だけがゆれるのだろう。そういう万物照応の世界における不可解さの表現がこの文章なのである。」(154p)

「われわれの側の都合によって、時には原始人と呼ばれ、未開人と呼ばれ、また古代人と呼ばれている。部族社会の人間と呼ばれることもあり、伝統社会の人間と呼ばれることもある。呼び名がどのようなものであろうとも、結局かれらの現実のありようには関係のないことである。しかし、たいせつなことは、かれらにはかれらなりの思考と行動の型があり、それを支えるユニークな文化があるということである。かれらの視覚はわれわれのそれよりも鋭く、強靱である。かれらはものを凝視する。じーっと見て、見つづける。それを多様な角度から見る。透視する。立場を変換して向こう側から見る。そして世界を見わたす。われわれと違ってかれらの生身の眼の力はつよい。かれらもまた見て考える。しかし、その考えは必ずしもくさり状の因果関係の連鎖を追うことをしない。もっと端的に万物の同時共存の場に突入して、そこに万華鏡のような世界を成立させてしまうことがある。「何故なし」の世界、それが生きているのではないかと思われることがある。いずれにしろ、そういう思考と行動の場にできるだけ接近して、かれらと共に考えてみること、それがこれからの課題なのである。」(156p)

「かつてレツィIブリュールは融即律 loi de participationーこの訳語はきだ・みのる氏のもので、分有の法則と訳されることが多いしということを説いた。かれによると、いわゆる未開人における思考法の特色は、いわば前論理的なもので、それは西ヨーロッパにおける形式論理学の基本である同一律(AはAである)、矛盾律(Aは非Aでない)、排中律(AはAでも非Aでもないものではない)にしたがうものではない。そうではなくて、そこではそれ自身であるとともに同時に他のものでもありうるし、また、それらのものは神秘的な力・効果・性質を、時空の枠をこえてうけいれ、また、それを与えることができる。つまり、われわれの矛盾律や因果律とは異質の、かれのいう融即律がそこに支配していると説いたのである。しかも、こういう一見して奇妙な思考の偏奇があらわれているのは、未開社会における生活の場がきわめて濃密な集団的連帯感を育てあげ、そこに集団表象が生き生きと機能しているからである。集団のすべてのメンバーが共に同一の場に参加しているからであると考えたのである。」 (158p)

「この事例はわれわれのところにいる留学生のうち、タイ人とカンボジア人から聞いたものである。両国に同様の習俗がつたえられているらしい。以下はタイ族の例を紹介する。若者が戦争に出かける。あるいは遠い危険な旅に出発する。もちろん、昔の話であるが、そのとき若者の恋人は自分の家の庭にチャンパーの若木を植える。もし、その若者に恋人がいなければ、若者の母が恋人にかわって植えることになる。土を深く掘ってていねいに若木を植え、毎日、水をやって入念に育てる。かれらの仰のなかでは、その木が丈夫に育ち、青々とした葉を茂らせているあいだは、若者は必ず無事である。戦死することもなく、旅先で事故にあうこともなく、やがて元気に戻ってくる。もし、その木が枯れてしまうと、若者の身の上にも異変があるに違いない。だから、恋人は日ごとに若者の身に思いを馳せながら、チャンパーの若木に水をそそぐ。こういう話であった。遠く離れた二つの場所がチャンパーの木のうちに凝縮されている。木のいのちと若者のいのちはどこかで連続している。それが木の姿のうちに見える。そういってもよいであろう。」(161p)

「こういう観点からすれば、わが国の花見は新しい年の生命力の発動をあらかじめ読み取るものであったし、雪を豊年の兆しと見ることも、また、同様の視角によるものであった。その儀礼、その習俗の行為のうちに、時が凝縮されていたのである。」(164p)

「どこかに、不思議な性質をもった場所があるように思われる。その場所について、すでに少しばかり示唆したけれども、そこでは、「こと」が「そこ」である。「いま」が「未来」である。「いま」が「過去」である。「部分」が「全体」である。「わたし」が「あなた」である。要するに一が一で、二が一である。そういう場所が呪術・宗教的行為の根底によこたわっているように思われる。そこはおのれの身にまとった衣裳を脱ぎすて、脱ぎすてたという意識をも脱ぎすてて、すべてを脱ぎつくしてしまったところである。そこは出会いの衝撃のただなかである。眼から火が出るというが、眼と眼がパチッと見合う、その一瞬、その一瞬の前の一瞬、そのなかにひろがる世界なのである。節を改めて考えつづけたい。」(167p)

  

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6.鎮魂の座標

「帰(還)りたい」・・・と、ずっと思っている。1番古い記憶というか感覚の1つに「大きな親指に頭を掴まれたような感覚」が、私の中にあって、それはなんなのか明確に分からないけれど、生きていく方向として、どのどこかに近づいていきたいとは思っている。まー、それはもしかしたら助産師さんに引き上げられた時の感覚なのかもしれませんが、同列に「暗闇の中で体育座りしている自分を見ている別の視点が、太鼓の音が近づくにつれて、カメラもズームアップしたりしたり、ズームアウトを繰り返す」がある。それも、ふと忘れてしまいそうになるのですが、ちゃんと見つけてあげないとと思っています。その「帰りたい」という魂の場所を探すこと=鎮魂であるならば、私はすでにあの世との繋がりをちょっとは感じられているのかもしれない。「帰る」は心の場所で、「還る」は体の場所は、それは私の中で、決まっているんですよね。( と、いう話をしたらそれは「インナーチャイルドなんじゃないの?」と、それも大いにあるかもしれません ) 

壊れたものは、壊れる前よりも存在を強くするといつも思う。割れた食器そのものの存在感に私はこの頃心惹かれるのですが、明らかに割れる前よりも、割れた後の方が「それがどうしても必要」と思うんですよね。親孝行する時には、親はいないというのは、現実ではなく、そういう想いの話かもしれません。ある意味、傷を負って不自由を感じた時と同じ。傷というのも、合間の世界かもしれない。。。

そういったことで、折口信夫的には、違う形となって、遠いところから知らぬ間に現れ出会い、柳田國男的には、山や自然の中にあり、手を合わせればいつでも会えるような感覚で ?( よく知らないままに書いてます) 。だから、どちらにしても全く一人でいたとしても、一人ではいないのだ。

きっと万物全てが相対して存在しているとしたら、そのあっちの世界を意識していない限り、この生きてる世界も、認められないはずだ。だからこそ「やむえない」不可解なことをやるっていうのは、大切で。私たちはその感覚がどんどん薄れて、忘れて生きてしまっているんでしょうな。。。と、思ったお話。

「ケンヤー族の稲作儀礼のうちの特に焼畑地の選択に限ってみても、イシット、プラキ、エン、プングロン、ウカンという鳥の声を順決に聞いて一定の休みをとらなければならないし、トッラウという一種の鹿、プラノックという鹿を見つけてやはり一定期間の休みをとる必要がある。その間に緑色のヘビを見つけたら開は中止になる。バラ・ウルール、バラ・エコールというヘビを見ても同じ、といった具合なのである。鳥の声、鳥の飛び方、ヘビその他の生きものの動き、山の野獣の声、あるいは前夜の夢などによって、その日の行動が左右されるのである。それを馬鹿らしい行為、非合理的な考え方をしているというのはわれわれの意見であって、かれらからすれば目に見えない自然の合図が、あるいは他界の意志が、作業の継続に赤号を出している。やむをえないではないか。そういうことになるわけである。」(205p)

「前者では異様な風体のさすらい人が時空を異にする他界からやってきたまれびとに見えた。後者では家の裏手の山に先祖が住み、人と神とが同じ時空のなかにいつまでも共存しつづけているように思われた。」(213p)

「死ぬってことが重荷になるなんて今夜に限って

こりゃいったいどうしたことだ

大刀洗航空基地で離睦の寸前に、直撃弾をうけて戦死した友人、宮野尾文平の詩の一節である。

戦争の末期であった。「死ぬってこと」の重荷を振りはらおうとして、誰もかれも思い悩んだものだ。宮野尾もその一人だった。かれと別れた日が昨日のように思いだされる。敗戦ののち日本は奇策的に立ち直り、思いもかけなかった繁栄の日をむかえた。しかし、それと裏はらに、われわれは「死ぬってこと」を考えなくなった。「死ぬってこと」をめぐるわれわれの対応の仕方は乱れに乱れている。航空機の事故があいついで報ぜられる。そうすると遺族たちは現場へ急行して、遺体と対面しようとする。それが死をめぐる風俗のように報道されている。「死ぬってこと」を受けとめる、それがただ一つの途だろうか。」(213p)

「現代文明は他界を喪失しようとしている。あるいは、すでに喪失してしまった。これはほとんど動かしがたい事実ではなかろうか。われわれは火葬場からでてきた両手のひら一杯の先祖の骨を、どうすることもできずに処置に困っているのである。捨てようにも捨て場所がないのである。他界が失われて、ついに現世に裂が入った。今日はそういう状況かも知れない。他界のないところに銀魂などありようがないではないか。われわれがしていることは、紙の上の遊戦である。」(215p)

「他界は、古人がいうように、「草葉の隣」にもあった。それはまた、沖縄の古い緒にいうように、「雨だれの落ちる軒下」にもあった。

他界と現世が一枚になった世界、こういう世界ではわれわれの身のまわりの至るところに他界への窓が開かれていたのかもしれない。

ばったよ 一本の素をたてにとって身をかくした その安心をわたしにわけてくれないか

八木重吉の詩である。一本の茅は現世のぎりぎりの姿である。ばったがそこに身をかくしたところは他界である。あるいは、ばったが現世で一本の茅が他界である。現世が他界で他界が現世、そういう空間構造がここに現出している。そこに魂のしずけさが生まれる。そこが魂の場所である。」(217p)

「魂をふるいおこすのは、掛け声をかけて富士登山をするように、魂をその場所にいたらしめるためである。魂をしずめるというのは、さまよいでた魂をとりもどして、そういう場所に位置づけるためである」(221p)


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7.神の見える場所

戦場で死を目の当たりにした時に、潮のままに浮かび揺蕩うワカメの姿を見て涙したことが、実は「和布刈神事」という、論文を書いていた人もいたという話なんてのは、すごく面白いし、案外そういう子どもが思いつきそうな遊びを、真剣に凝縮させてみたところに、信仰も生まれてるのかもしれません。

「古代から近代へ降りてくるやり方」に対しての「今を足場にしてもとへさかのぼっていく研究態度」が、ワカメの話だとしたら、さて、私には、さがのぼっていける体験があるかな?と言えば、、、ここは ”イイ場所だ” と、感じて "きっと何かここにはいい神様や神事に使われた場所なのだろう" と、想像することぐらいかもしれません。気の合う場所。偶然に一緒に読んでいた貝原益軒の養生訓の中でも”気”の存在に関する項目が多く(そもそも日本語に気が多い)、ここの章でいう・・・ラルフ・リントンが、深海に住む魚が、水というものに気づけないと言っている点。私たちは同じように当たり前にすでに存在してしまっている文化を、文化という枠で認識できていることが、近代における最も重要な気づきの1つ。そして、文化の向こう側にいる”カミ”に、どうしたら出会うことができるのか、それが問題である。と、岩田さん。

柳田國男と、折口信夫は師弟関係でありながらも、柳田は、稲作や農耕がいかに日本の文化を支え、快適に過ごしていけるかというような話かと思いつつ、折口は古代神道といったあたりの、土着な方で? (まだまだ勉強不足です) ・・・常民と漂白民。祖先とマレビト。。。だいぶ向いている方向が違う…なぁ。でも、どちらもあるなぁ〜と思っていると、ここでも偶然にも折口と柳田の対談も読んでいたので、柳田國男の折口信夫に対する研究の仕方が少々、実証に欠けるみたいな話とかも、本当に師弟を感じて、でもさらにぶっ飛んでるけど何故か分かるこの岩田さんの話なんてのは、柳田さんは全く、だからなんですか?って感じかもしれないですよね。。。でも、岩田さんがその当時、生まれ育った場所で実際にワカメを信仰していたとして、その土地をフィールドワークした学者がいれば、一例としてそんな人もいたという、もう「実話」になるわけで。文化の向こう側にいるカミにどう出会うか、ここでも難しい問題かと思いました。

先祖のカミ、遠くから災いも含めて運び入れてくる得体の知れないカミも、恐れが多ければ多いものにこそ御加護があるような、そういうバランスの中で、謙虚な気持ちで生きている身分に引き戻されていくことがちょうど良いような。神に近づきすぎると、神から遠くなる…そんな感想のこの章です。触れられない見れない、そんな距離感からマレビトなる遠い存在にカミを見出す(重ね合わせる?) のは、実はカミの有り様としては1番近い。そして逆に、近すぎることで同様にカミになる点でも、氏神の姿は近い。日本人にとってのカミは見えないもの、そして、内側にあるもの。それを示してるのが、マレビトと家族が亡くなってから氏神になっていくような有様なんじゃないだろうか。その生と死の中間で生きている私たちは、その中間にいられればいられるほど、どちらでもない状態からの隙間に触れられるのでしょう。その中間を、健全に保つための作用が祭りなんでしょうか。


「私が実際問題として今一つ苦しんでいるのは、近世史はすでに明らかになったように言うが、ほんとうは狭い片はししか知ることができない。たとえば維新の改変とか・・・・・明治の財政や外交の変化などは委曲をつくしているが、それ以外の大きなカレントになって国民のあいだを流れていたものが、どう進路を変えて今のようになったか、まだだれ一人詳しく述べる者がない。ひろい意味の近世史というものを、もういちだんと正確にすることが、やはりフォークロアのいちばん大きな任務じゃあないかと思う。神社神道はどうなっていくか・・・・・日本の国語はどうすればよくなっていくか・・・・・戦の後の大衆の不幸、多数の女や子供の悩みをどうしたら明るい安らかな時代に直せるか・・・・・あまりに現在は疑惑が多い。それを学間は学問、世相は世相というように別々に考えることができない。源にさかのぼって流れを澄ましめるようなよい思案が、この近世史のフォクロリックな考察から得られるのでないと、なんだ無用の学問と軽しめられても、抗議ができぬような気がする」。

一方、「古代から近代へ降りて来る」といわれた折口学について、折口氏自身の言葉を聞いてみよう。「私のやってきたことは、そこが(現実にたいする態度、ひいては未来にたいする憂慮を持ちそうもないという点|引用者)ーディレッタンティズムなのだということになるのだろうと思うのですが、私はまるまるそうとも思われない。ただ•・・・・雑多な学や非学に興味を持ち過ぎる。・・・そのどれが享楽で、どれが本務だということを言う勇気がない。だから、たとえば民俗学にしても、私の行き方は、もっと近代から現実まで出てこなければならない。だが、じれったいほどそこまでいっておらない。確かにその点では、もういっぺん努力しなければいけないと思っています」。師にたいする言葉とはいえ、実に率直なものである。」(227p)

…「レーダーはそのとき、夜の洋上に敵艦を発見し、接近するための唯一の手段だったわけである。死が、一日一日とわれわれに近づいてくる。われわれはいったいどうしたらよいのか。死に場所をさがす。死ぬべき場所をさがすといっても、現実に、そこで直ちに死のうというのではない。そうではないけれども、年老いた獣がそうするように、人間もまたそこで死ぬことのできる最後の場所をあらかじめたずねあてて置きたいのである。原初の場所への回帰の願望といったらよいのであろうか。死が日々に迫ってくるのであるから、じっとしてはいられないのである。」(233p)

「潮に身をまかせて、潮の流れをじて、かぎりなく自由に、ゆうゆうと流れていたのである。私はそこに立ちつくして、わかめの姿を凝視していたが、そのうち、不覚にも涙が流れてきたのである。おのれの存在にたいする、おのれをおのれたらしめているものにたいする深い信頼、わかめは波にちぎれたおのれの姿を曝すことによって、私にそういう世界を見せてくれたのであった。私はこういう風に書いてから、あらためて小文に副題をつけた。「わかめ明神のこと」としたのである。私にとって、あの日あの場所におけるわかめの出現は、疑いもなくカミの誕生であった。そう思ったからである。ところがである。それからしばらくして国分直一氏の『日本民族文化の研究』を読んでいて愕然とした。そこに「ワカメの祭|和布妙神事の意味」という論文を見いだしたからである。ワカメは、少なくともそこでは、すでにカミだったのである。」(234p)

「古代から近代へ降りてくるやり方」と、「今を足場にしてもとへさかのぼっていく研究態度」、その二つの道がカミの場において出会う。まったくの偶然ではあったが、ささやかな私の経験はその不思議な出会いの可能性を証明しているのではなかろうか。そう言っても、やはり納得していただけない方も多いだろう。事例によって語るのではなく、論理によって説明して欲しいという方もあるだろう。(236p)

「柳田学と折口学の方法に若干の食い違いがあったとしても、結局のところ、二つの民俗学の由来するところ、たどり着くべき世界は同じ一つの世界であった。そう思われるのである。柳田学の場合には、日本人にとって望ましい人生の図が思い描かれていた。それは生きているあいだは農事に精をだすとともに、村びととともに伝統的な年中行事に参加し、冠婚葬祭の儀礼を型どおりに行ないながら平穏で充実した人生を送る。そして死後は先祖となって子孫の敬愛と祭りをうけ、定期的に子孫たちの村と家をおとずれてかれらを激励し、その繁栄をたしかめる。そういう、ささやかといえばささやかな、しかし、動かしがたい真実につらぬかれた生き方をすること、それが常民の生活のあるべき姿だと考えていた。特別に深刻な思想、哲学は必ずしも必要ではない。借りものの理論や新しい方法論をふりかざすこともない。民俗生活の比較研究によって先祖たちの生き方を知り、それを支えてきた知恵を手に入れることができる。その知恵を今日と明日の生活に生かし、足もとの歴史の潮流を正していくことがたいせつである。それを可能ならしめようとするのが、民俗学の任務なのだと考えられていたようである。」(239p)

「今日のわれわれがその知性の限りをつくしてたどり着いた世界、そこでは観照がすなわち創造で、創造がすなわち観照だというけれども、そういう世界は同時に古代的な人びとが無造作に直観するところでもあったのである。見ることによって眼に見えないものが見えてくる。ものが出現する。それをしっかりと見とめる。この世界のなかの無数の眼、その眼と眼が見あっているのである。(257p)

「ここまでのところは原始のカミと少しも変わらない。かれらもまたカラスを窓として天地を見、トカゲを窓として世界を直観していたからである。」(277p)


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8.コスモスの誕生

「古代人の信仰」のなかに天竜川沿いの山村にみられる古い習俗が書きとめられている。それは猟師仲間に伝わっている弾丸をめぐる特殊な宿仰に由来するもので、弾丸の最後の一発は必ず残しておかなければいけないというのである。これを撃ちきってしまうと、シャチ(幸)が切れて物がとれなくなってしまう。しかし、最後の一発が残ってさえいれば、この弾丸のもつシャチが新たに補充された弾丸にも伝染して、あるいは増殖、転移して、シャチを失うことがない。森林を伐採するさいに必ず一本の木を残しておく。その木に山の神が宿るからということであるが、考え方によってはこの一本の木に宿った森のカミが、年月を経てふたたび他の木々に転移し増殖していく。(P327)

ひとの魂がその在るべき場所から離脱して外界にさまよい出る。そうするとその人の精神は不安になり、悪夢をみることが多く、することなすこと不運に見舞われる。病気になることもあるし、死にいたることもある。こういう場合には、さまよい出た魂を呼び戻すための魂の呪術が必要である。

クメール族のあいだでしばしば行なわれるサド・クロと呼ばれる儀礼、ないし呪術は正にこのような場合に行なわれるものである。僧侶あるいはアチャール(司祭)の司会のもとに、不幸、不運の原因となった悪霊が追い払われ、かわって迷いでた当人の魂が呼び戻される。そして魂が再びさまよい出ないために、両手首に黄色に染めた木綿糸が結ばれる。この呪術はすこぶる手の込んだ道具だてを必要とするものであるが、詳細は別に報告したので繰返さないことにする(『日本文化の起源』)。

遊離した魂を呼び戻す、それが魂であることに相違はないが、疲れた魂、弱った魂に活力を蘇らせ、そのうえで元来の魂の在所に送りとどける。そういう趣旨の鎮魂呪術を見たことがある。クメール族のあいだで一般にチョール・メーモットと呼ばれているのがそれである。この場合の主役は村の女性で、精神を集中して忘我の境に入った女性が、おのれの体内に父母の霊魂、兄弟姉妹の霊魂、あるいは夫の霊魂をとりこみ、あるときはあびるほど酒を飲み、あるときは踊りを踊って、霊魂をたのしませ、魂の衰えた力を回復する。その後、蘇生して力強くなった霊魂をその当人に送りかえす。

チョール・メーモットの場合には、魂しずめが魂ありと結びついている。魂の力を回復するための、最も原初的な行事が見られるわけである。(P328) 

ラオ人についていえば、かれらの身のまわりには実にさまざまなピーが出没している。奇妙な形をした石、さらさらと音たてて流れる水、何物かがひそんでいるに違いない暗い洞窟、人気もないのにギーッと音たてて開く扉、片方の眼だけが異様に光るネコ、並はずれてたくましい水牛、緑の葉がこんもりと繁った灌木、雨季になるとどこからともなく出てくるトカゲ、不可解な悪声をあげる黒鳥のカラス、雲のかかる高山の頂、こういう処、こういう生きものには必ずピーが宿っている。用心しないといけない。それらの場所に近づき、それらの生きものと交渉をもつときには、ピーの怒りに触れないように細心の注意をはらう必要がある。ラオ人はきまってこういうことをいう。(P333)

そこで、いわゆるアニミズム、あるいはアニミズム的世界観について正しく考えるためには、予め二つの問いに答えなければならない。その一。カラスのピーは、カラスそのものなのか、カラス・プラス・ピーなのかということである。ピーと称する霊魂が、あるいはタマが、ケツ粒のような実体であるならば、ピーはカラスの体内のどこかに宿っているはずである。カラスという生きものは、果してカラス+ピー>なのだろうか。(P334) 

宗教進化の道程を説き、アニミズムは原始宗数だというけれども、果してそうであろうか。原始のひとを未開人と考え、原始の宗教を錯誤の体系と考える、それは人間が手にいれた科学技術の力によって、世界を支配し、時空を歪め、虎を兎に変えてしまった。その事実に気づかなかったからではなかろうか。宗教はあらゆる力とは無縁の、「徴かなる知」の世界であって、万物の同時共存の場においてのみ生きつづけることができるのである。人間だけに通用する宗教ではなくて、同時に、草木虫魚にも通用する宗教の方が、ほんとうなのである。(P338)


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9.わが生死

ここまで来て、抜粋してきたことの意味なんて、ちっぽけすぎる、私が感じていたことの抽出としてあんまり意味をなさないと気づく。文と文、文字と文字との間に言葉があって、抜粋してしまうと、言葉を読むことにはならないと気づく。そして、なんたる終わり方。。。

実は私も「正法眼蔵」の懐奘が聞いたことを書き記した正法眼蔵随聞記を、ことあるごとに、心の指針として読んでいた時期がありました。それは単に、家の宗派として曹洞宗があり、祖母が信仰熱心だったこともあり、ルーツとして、教えとして、読んだところ、パズルのピースのように、また、黒澤明監督の映画のように、しっくり、そして、居た堪れないほどの "正しさ”が、胸にくることがあったのです。

なんというか、泣きたい気分です。それは悲しいわけではなく、最後の章の中の"本源無病"の精神で、泣くことは人間の感情の1つ。ただそれだけな気がします。涙が出ることの理由は、別に悲しいわけでも感極まっているわけでもない、そういった涙の類で。

たぶん、会いたかった人に会えたような。世界が終わるような。夕日が沈むような、朝日が昇るような。そういった類です。それは、私が好きな川内倫子さんの「うたたね」の世界でもあります。

もう抜粋からの感想文もそこそこに。。。

























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