「 コモンの「自治」論 」斉藤 幸平 + 松本 卓也








 

資本主義の次は、コモン主義社会!という、なんかのYouTubeをチラッと一瞬聞こえてきて「お!そうかこれか!」と、なにか資本主義は崩壊して、その次に何かが必ず来ると思ってた私には、こりゃ知りたいと。

  

んで、調べてみたら出てきた本で、読んでみました。各章ごとの間のコラムが受け取り手になってるようか感じで、すごい本だなぁーと思って、章ごとに感想かいてましたが、本って不思議と後半が、読めなくなってくるのは…わたしの読む気合と忍耐力の問題…? 笑 

       

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第一章


なんだか古い話のようにばかり聞こえてしまって、自分が当事者として体験したことが、第一みたいなこととして発言するのは自分も気をつけなくては…とパッと読んでいて思った反面、でも、感じている謎な不幸せの蔓延感、孤立感(個人としての同じ完成系をみんな目指してる感) みたいなところは、そういう全共闘的なところから端を発されてしまったってのも良く分かりました。でも、若者は若者で、昔を知らないわけで、今を生きていて感覚的には、変わらず今を精一杯幸せそうに楽しそうに生きてる気はします。そこの値は、ずっーーと変わらなくて、私たちが勝手に悲観的になってると。そーなると悲観的な未来になるだけなので。私が子供の頃だってそんなふうに言われて来たのだから、いくらコミュニケーションができる場がなくなったとしても、それは本当に知らないところで、ちゃんと機能してるはず。もちろん、偶然に任せるみたいなところがかなり減った中で、主体的に生きることを学べないままに…ってのは、かわいそうだけど、それを通り越して、今じゃーもうそういうもんだと。


でも、日本人ってそういうとこが、イイところなんじゃないかなーとも。なんでも受け入れちゃうし、他の国にはできないことが、自然とたくさんある。変わる必要もあるけど、でも、他の国と同じように”私、自身があります!”みたいなところを目指してしまったら、また同じことを繰り返してしまう。


どうしても、いつも言葉が浮かぶのは、平田オリザさんの鎖国の話で。。。生きれなくなるくらいな鎖国をすることで、私たちは日本人らしい、不便を不便とは感じられずに、楽しめる生活を、またスタートできる気もしてます。


感じてることに、世代差が大きすぎる…とは、思いました。でも、ギリ共感できてしまう僕も古い人だなーという反省です。もちろん、危機感を感じてますが…!!



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第二章


なんだか、私がやりたいこと、やろうとトライしていることに近いような気がしてなりませんでした。なんか全部、すんなりよく分かる。


貨幣経済だけでは、自由を手に入れられても、自治は生まれてこない…。そう、今みんなが求めてるのは自由ではなくて、、、場所みたいなもので。でも、そこにはお金が儲かるとかの話はない場所で、だからこそ、その場所をみんなで作っていく。でも、何もないと人も自然発生的に集まりにくいから、小さな商店となる。その商店は実は資本主義の穴が開かないようにというような作用もしていたってのは、そのバランスがかなり傾き過ぎてしまってる今なんでしょうね。このずっと感じてる変なチグハグさの違和感は、バランスの悪さなんでしょう。


そして、贈り物の話も頷ける。値段を見えなくさせて、永遠にお互いに続くみたいな話。なーるほどと。礼儀としてなんか値段を外したりしていたものが、実は関係の維持と関係していたとは。


ほんとうに、新品じゃないところに価値が生まれてくる話しとかも、すごくよく分かるし、考えてることと重なる部分が大きい章でした。 


そして、自然と共同生活を生まれるのは実は資本的なお金の儲かりだったりするわけなんですよね…、お金が絡まないと共同体ってのも、生まれにくいと、、、うん、すごく共感しました。



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第三章

 

フェアレス・シティ。恐れぬ自治体。市民の住む権利を主張。ミュニシパリズム=自治体主義。コモン、ケア、フェミニズム。バルセロナの参加型予算!

   

いかに、私たち一人一人が何かを発信することで、動かせるのか。杉並区に引っ越したいくらいにそう熱く感じました。ほんと、バンバン開発されてしまって同じようなビルや商業施設…というのには、もう8年くらい前から嫌気がさしてましたが、やっぱり、そうなのかと。コモンな場所がどんどんどんどん減って…。稼げる公園ばかり。オリンピックのための競技場が、まさかその後の建築の高さを緩和させるためだったかもしれないなんて、、、ぷんぷん。


坂本龍一さんが、都知事に当てて開発の為に100年かけて育て守ってきた神宮の樹々を犠牲にしないでと、手紙を出したという行動に繋がったのが、一人のファン?の声からだとすると、、、なにか私たちも、アーティストと一緒に声をあげることは出きそうな気もしてきました…。そういうこともできるんだと。

     


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第四章


自治の道具のひとつとして市民科学、データをとっていく…。でも、活動自体をお祭化する。自分たちの主張を外に伝えるための、ベースキャンプのような場にもなる。


なんともタイムリーな。でも、一市民がそんなに力がある…というか”脅かす” 存在になるのかなぁーというのは、実感としたなくて。この実感さえ持てれば、やる気にもなれる気がしました。市民データはよりマクロなものをとれる。でも、実態を明かすと仕事がなくなる人もいるから、市民みなさんたの間だけでも隠蔽は起こる。たしかに…。

  


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第五章


スケープゴートを必要とする家族状況から、狂気が生まれる。家族のなかの歪みがとくたいのひとりに押し付けられる。精神医療改革運動をめぐる反対運動の医者。素敵な仕事。。。

   


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レベルの低い自由の中でうたた寝をし、「魂の包摂」に無頓着になっています。「構想」と「実行」の分離によって、従属するだけの存在になっているのです。




って、すごい言葉の破壊力!!




「自治」を取り戻すためには、どこかで「構想と実行の再統一」を実現し、自主性を取り戻す必要がある。この「構想」する力が、アントレプレナーシップです。この能力こそが、リーダーフルな市民の「自治」を可能にし、政治が市民から切り離されるのを防ぐのです。





なんだかすごいし、熱を帯びるような言葉で、やってやるぜい!と、”希望なき時代の希望” をもてそうになるわけですが、むむむっやっばり、小さな実感がない。


だから、やっぱり自分が関わることで何かが変わるって体験ができると、いいなぁー、それが1番の薬だなあーと思いました。 


ほんと小さなことでいいから、まずは変えられたって体験を自分の中に。。。



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