「レディ・プレイヤー」スティーブン・スピルバーグ




ボロボロな町の景観を見ていると、ここは新しい世界なのか?もはや古い世界なのか?よく分からないけれども、2022年12月の現在から見ても、そこまで全然ぶっ飛んでいないと感じるのは、手塚治虫がグルグル回るような高速道路を描いていた時のように、未来がもうすぐそこまでやってきているんだなと。


でも、ちょっと待って、と。


ゴーグルをつけて、現実の世界かを捨てるような感じが、どうも最新とか最先端とかとは全然思えず。むしろ、森とか自然と大切にしている暮らしの方が、新しいという感じではないけれど、進化していくべき1番の姿じゃなくていいから、まだ良い、ましな生き方のように思えて、無論、この映画を作ったスピルバーグもそんなことを言っている。(  というか、ゴーグルをかける時点で何かが違う・・・と )

 

もうちょっと、誰もまだ思いついていない良い進化の仕方が人間には、あるんじゃないかと、、、、。資本主義に飽きたって言ってるホリエモンとか、前澤さんのyoutubeにうんうん、と思いながら、この映画を見ていても、ん〜何か未来が違うように映りました。

 

もちろん、この映画は最高に面白い!でも「あっこれだ!!!」と、手を伸ばして掴みたくなるほどな未来ではなくて、逆に何かを捨てることを前提としている未来というのは、本当にこの先、どう生きていくのか、映画的には地球の破滅しか待っていないんじゃないかなー?と、そんな風にも感じてしまいながら。

   

私はいつも、手紙を直筆で書いて、封をすると、もう相手に届いたような感覚になってしまいます。「あっあんなこと書いちゃった!やべ」と、思っても、手紙はまだ机の上にあって、でも、まだ届いていない。「あれ?」と思う。でももう、届いたような感覚になっている・・・。リセットする” の現実の境目がなくなってしまっているのは、もうすでに、こういうことから生活に入り込んでいるんだと思うと、何かから一旦、遠ざかって、主人公がヒントをもとに、逆走して” 裏ルート = "この世界の攻略方法" を見つけるようなことが、この時代には必要な気がしてきました。


さてこれから、どう戻りましょう?

      








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